狂愛のオオカミ少年(1)

 鉄紺の暖簾をくぐり引き戸をひらくと、食欲をそそる甘いだしの香りがふわっと漂ってくる。うどん屋の店内には今日も、いつもの席にいつもの常連客たちが座っている。その見飽きた配置を目視して、宮地早紀と宮地優の二人も、暗黙で決められている自分たちの指定席についた。
「相変わらずべっぴんな姉妹やな」
 優は振り返って、座るなり声をかけてきた常連客のひとりをにらみつけた。
「俺は男や。目腐ってんのか、おっさん」
「うちの妹が相変わらず、口悪くてすいませんねぇ」
「弟やっちゅうねん!」
 新喜劇さながらのいつもどおりのやりとりに、うどん屋の中がどっと笑いで包まれる。
 大阪の下町にある『手打ちうどん瀬戸一』の店内は、昼の一時を回ると常連客で埋めつくされる。町医者やら、車の整備工やら、弁当屋のおばちゃんやら。集まったさまざまな職種の客たちの共通点は、この近辺で働く地元民だということ。腹が空くと旨味たっぷりのうどんだしが恋しくなる、生粋のナニワ人たちの集まりだ。遅れてやってきた『宮地昆布店』の姉弟、早紀と優も、瀬戸一のうどんだし中毒の仲間だった。
「やっぱり瀬戸一のうどんには、宮地のおぼろ昆布がよう合うわぁ」
「おおきに」
 湯気の立つどんぶりの中央に乗っかっているおぼろ昆布をほめてくれた老婦人に向けて、優はにっこり微笑んだ。天女の羽衣を思わせる透けるほど薄いこのおぼろ昆布は、早紀と優の父親が経営する宮地昆布店の商品だ。
 宮地昆布店は、瀬戸一ほか近隣の飲食店にだし昆布やおぼろ昆布などを卸す昆布加工所である。うどんの瀬戸一も昆布の宮地も地域密着型の小さな店で、どちらも大儲けできるような手法はとらず、地元の人たちに愛される堅実な商売をしていた。
「いらっしゃい、今日はどうする?」
 早紀と優の席にほうじ茶を運んできたのは瀬戸暁生。瀬戸一の看板息子だ。
「俺、いつものきつね」
「あたしは天ぷらね」
「あいよ~」
 もともと下がっている目尻をさらに下げて、暁生は女性客に評判のキラースマイルとやらを振りまき厨房に戻っていった。
「アッキー、今日も変わらずええ男やわぁ」
「せやな」
「なんやのあんた、その温度の低さ。自分のダーリンに冷たすぎやで」
「だから、ダーリンと違うっちゅうねん」
 姉である早紀の冗談にあきれ、優はまたかいな、と言いたげな目を向けた。
 得意先と仕入先の関係にある瀬戸一と宮地は、互いの店舗兼自宅が徒歩一分以内という近さにあって、先々代から公私において良い付き合いをしている。その三代目で両家の現末子である暁生と優は二人とも二十歳で、小さいころから同じ環境で育ってきた幼なじみであるのだが、この地元界隈ではいつごろからか、名物ホモカップルとして祭り上げられるようになっていた。
 そんな悲惨なデマが流れる原因を作っている張本人がしばらくしてまた、今度は盆に乗せた大きなどんぶり鉢を、二つ運んでくる。
「きつねと天ぷら、おまたせー。今日もハニーのために、いちばん大きいおあげさん選んで入れたからね」
 どんぶり鉢をどん、とテーブルに置くと、暁生は空になった温かい手で優の頭を撫でた。
「さわるなしばくぞ、ヘラオ」
「ヘラオて言わんといて~」
 ヘラオというのは、優が暁生につけたあだ名だ。いつでも誰にでも、ヘラヘラしている暁生だから、ヘラオ。でも、初対面の女性を一発でとりこにすると噂のその笑顔を八方美人だとあてこすって優がつけたあだ名も、本人は一応嫌がって見せてはいるが、実際のところはひとつもこたえていない。暁生と優が地元で名物ホモカップルと認識されているのは、その当人である暁生がしょっちゅう優に構ってはふざけて愛を囁いているせいだった。
 優の耳を覆うつやめく黒髪を指にくるくる巻きつけて、かわええなぁ、と呟いたかと思うと、暁生はその小さな耳に唇を寄せ、店内にいる誰もが聞き飽きてるセリフを口にする。
「でもハニーのそんな口の悪いとこも、好きやで」
「よっ! お二人さん」
 隣の席から絶妙のタイミングでしょうもない合いの手が入った。優はそちらをにらみつけると思いきり舌打ちを飛ばし、髪に触れる暁生の手を払いのけて、割り箸を力まかせにパキッと二つに割った。
「伸びてまうから、はよ食べ。お腹空いてるから、機嫌悪いんやで」
 違う。おまえがヘラヘラ笑いながらいらんことばっかり言うから機嫌が悪いんや、と言ってやりたかったが、腹が減っていたのも事実なので優はどんぶり鉢を持ちあげ、口にしかけた文句をうどんのつゆと一緒にぐぐっとあおった。薄味のだしとほんのりとけたおぼろ昆布の塩味がいい具合に混ざり合う。真っ白な打ちたてのうどんはつるつると喉をすべって、最後に残しておいただしの染みこんだ大好きなおあげを食べ終わるころには、暁生の言ったとおり、優の機嫌はすっかりよくなっていた。ほっと息をついて顔を上げると、前に座る早紀がテーブルに体を乗りだしてきて優の耳元で囁く。
「ちょっとほら、あれ見て」
 背後を指さされ、優は何事かと振り返った。レジカウンターの前に見たことのない若い女性が二人立っている。彼女たちは暁生に案内されて、窓際のテーブル席につこうとしていた。瀬戸一はテレビや雑誌で紹介されたことはないのだが、どこから情報を嗅ぎつけてくるのか、ときどき明らかに暁生目当てと思わしき女性客が、常連客しかいない時間帯に紛れこんでくることがある。
「うわぁ、二人とも目がハートや」
 女性のほうを観察してるらしい早紀の呟きを聞きながら、優は注文をとる暁生の立ち姿をじっと見つめた。
 背が高くて手足が長く、全身にほどよく筋肉がついている。犬っぽい黒目がちなたれ目と、凛々しい眉がバランスよく配置された、こんがり小麦色の健康的な顔立ち。男なら誰もがうらやむ肉体美に、母性本能をくすぐる爽やかな顔が乗っかっている。繁華街を歩けば十分以内にスカウトがやってくるようないい男が、下町のうどん屋で看板息子をやっているというギャップが、どこからか噂を呼ぶのかもしれない。
 なにがホモや。好きとか愛してるとか、口から出まかせばっかり抜かしやがって。誰彼なしに笑顔振りまく女たらしのくせに。
 心の中で恨み言を呟きながらじっと見つめ続けていると、優の呪いのこもった視線に気づいた暁生が、女性たちとの会話の途中に振り返ってウインクを寄こしてきた。
「うわぁ」
 さすが博愛主義者。
 暁生は背中にも目がついているらしかった。女性と会話しながらも優の視線を見逃さない。八方美人もここまで極めていると、悪口を言う気も失せて拍手を送りたくなってくる。
「俺、配達残ってるし、さきに帰るわ」
 優はため息をついて立ち上がった。
「え、ちょー待ってよ」
「ゆっくり食べててええよ」
 早紀にそう言うと、テーブルに小銭を置いて出口に向かう。引き戸に手をかけたところで、女性の注文をとり終えた暁生に、後ろから二の腕をつかまれた。
「なんやねん、離せボケ」
「昨日の晩、優のために小豆炊いてん。今日の夜ぜんざいにして持っていくからね」
「あー、そらどうも」
「愛してるでー、ハニー」
 帰り際に告げられる暁生のお決まりのセリフに、今日も店内の常連客からひやかしの声が投げられる。笑顔で手を振る食えない色男にごちそうさん、と告げて店を出ると、優は秋晴れのやわらかな日差しに照らされた昆布屋までの小道をひとり、脱力しながら歩いた。


 優は、まさかこんなことになるとは思っていなかった。
 幼いころの暁生は病弱で今みたいに体も大きくなく、保育園から小学校の中ごろまで近所の悪ガキたちにみそっかす扱いされていた。優の役目はそんな暁生を守ることだった。いつも自分を信じて懐いてくる素直な暁生を、優はかわいがっていた。暁生が病弱であることをネタにしていじめる悪党どもが許せなかった。暁生を守る使命を自ら受けもったことで、優の中の正義感は育った。
 そんな小学生時代のある日のこと。暁生は突然、強くなりたいと言った。
『強くって、どういうことや?』
『優に守られんでも平気になりたいねん』
『俺、迷惑やったんか?』
 今まで自分のやってきたことが単なるおせっかいだった、と言われた気がしてしゅんとする優に、暁生は違うと言った。
『迷惑なんかとちゃう。優が守ってくれて、めっちゃ嬉しかった。でもこれからは、ぼくが優を守れるようになりたいねん!』
『はあ?』
 高々と宣言する暁生に、優はくっきり二重まぶたの目を歪めてみせた。暁生の言ってる意味がよくわからなかった。自分はいじめられていないため、守られる必要などなかったからだ。でもきっと、暁生は同い年の男にこのさきもずっと守られっぱなしなのが嫌なのだろうと思った。自分も同じ男だからわかる。変わりたいと言った暁生の気持ちを優は応援したくなった。
『そんなら、おまえはもっと笑ったほうがええ。いじわる言われたり叩かれたりしたときに暁生が泣きそうな顔するから、あいつらつけあがるねん。いじめられたときこそ笑え。そしたら気味悪がっていじめてけえへんようになる。だからこれからはいつも笑っとけ』
『そっかぁ、なるほどなー。やっぱり優はかしこいなぁ』
 尊敬の眼差しで見つめられ、優は鼻が高かった。翌日から暁生は優の助言に従って笑顔を振りまいた。今までめそめそしてた子がニコニコ笑いだすと、悪ガキたちは優の予想どおり気味悪がって暁生に近づかなくなった。笑顔という武器を手に入れた暁生は、その日を境にしだいにいじめられなくなっていった。
 そうやって優の守護下から飛びたった暁生は、中学、高校と成長を遂げるにつれ、パタパタと羽ばたきに羽ばたきまくって、いつのまにか手の届かない天上世界へと行ってしまった。いじめられないための武器だったはずの笑顔は女性をとりこにするキラースマイルへと変化し、病弱だった小さな体はなにを食してそうなったのか(うどん?)立派な男の肉体へと変わり果てた。
 こんなはずじゃなかった、と優は思う。こうなるのがわかっていたら、あんな助言なんてしなかったかもしれない。暁生がここまでうまいこと笑顔を使いこなすとは思わなかったし、ここまで大きく育つとも思わなかったのだ。完璧な容姿を手に入れた自信からか、あっちにもこっちにもいい顔をして、暁生はいつしか博愛主義のヘラオになってしまった。
 気づいたときにはもう、優の後ろに隠れていた弱虫の少年はどこにもいなかった。いつからか少年は、笑顔を崩さず愛を囁き続ける、胡散くさいイケメンにすり替わっていた。





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狂愛のオオカミ少年(2)

 卓袱台に置かれた椀の中、光沢のある小豆の海に白玉がぷかぷか浮かぶのを目にして優は微笑んだ。
 暁生は毎週金曜の夜に、なにかしら甘いものを手作りして宮地家を訪れる。菓子作りは暁生が中学三年生のころからはまっている趣味で、幼なじみである優はその毒味係だった。始めのころは、塩と砂糖を間違えるという若妻みたいな失敗をして体に悪そうなチョコレートケーキを作ったことがある暁生も、五年経った今ではそんな失敗はしなくなり、それどころかたいていのものを完璧に作りあげることができるようになっていた。その暁生の成長は優にとって嬉しいものだった。なんせ幼なじみが自分の大好きなスイーツを作ることを趣味にしていて、しょっちゅううまいものを届けにやってくるのだから。
「やっぱりぜんざいには塩こぶやなぁ」
 優の正面に座る暁生が、しみじみと呟きながら宮地家手製の塩ふき昆布をつまむ。
「あまーいぼくに塩っ辛い毒舌の優が合うのと一緒やなぁ」
「キモいから黙って食うてくれ」
「うわぁ、その辛口の刺激がたまらんわぁ」
「そんなん言うて、昼間は客の女に色目使ってたくせに。誰にでもいい顔しやがって」
「ぼくがいつ女の子に色目使ったんよ。ぼくが色目使うんは、優にだけやで」
 みんなに平等に振りまかれる微笑みを、優は真正面からうろんげに見つめた。毎日毎日嫌になるほど口説かれ続けているけれど、そんなものは暁生のたわむれごとにすぎない。好きだと、愛してると、言われれば言われるほど真実味は薄れて嘘くささが増し、今や暁生の口から出てくる口説き文句を優はまったく信用できなくなっていた。
「嘘ばっかりついてると、オオカミ少年になってまうぞ」
「嘘ちゃうのに。おまえはいつになったらぼくの愛が真実やとわかってくれるんかなぁ」
「口縫われたくなかったら、もうしゃべんな」
「おまえは、いくつ毒吐いてもかわええなぁ」
 優の脅しの忠告をまったく意に介さず、暁生はのん気に椀の中身を飲み干した。
 噛み合わない会話と、ぬかに釘。
 暁生はいつもひょうひょうと、嘘かまことかわからぬことを口にする。だけどそんな暁生のアプローチは、二人きりの空間にいるときだけ、ほんの少し本物っぽくなる。
 みんながいる前では『ハニー』と茶化しているのが、二人のときは『おまえ』になる。いつもどおり微笑む目の奥に、微かな熱がこもる。そんな暁生の微妙な変化に気づいたとき、優は死ぬほど緊張した。
 菓子より甘い、暁生の口説き文句。
 それがもし真実なのだとしたら。
 どうしよう、とドキドキしていた優はそのことに気づいた翌日、客の女から笑顔でラブレターを受けとる暁生を見かけて自分の愚かな妄想をすぐさま脳内からかき消した。暁生は優しいのだ。そしてその優しさは笑顔と同じように、優ひとりに向けられるものじゃない。その女と二人きりのときだって、暁生は甘い言葉で彼女を口説くかもしれない。誰かと二人きりの暁生を見たことがない優には、いくら想像しても真実はわからない。見つめてくる瞳に本気っぽさが混じっているからって、期待なんかしてはいけない。自分ひとりがこんな特別な扱いを受けているという保証はどこにもないのだから。
 幼なじみでずっと一緒の時間を過ごしてきたけれど、優には暁生の真意が読めなかった。弱虫で自分の後ろに隠れていたころは、素直でわかりやすくてかわいかったのに、と思う。だけど今や食えない男と化した暁生に、いつも笑顔でいろ、とうながしたのは優自身だ。自分でそう言ったくせに、今の優は大安売りで笑顔をばらまく暁生に苛ついている。
「おかわり」
 無言で見つめ続けられることにたえられなくなり、優は空になった茶碗をそっけなく暁生に手渡した。
「はいはい~」
 立ち上がって台所に向かう、後ろ姿になった暁生をこっそり見つめ返す。
 なんでこんな色男に育ってしまったんや。
 優は頬杖をついてため息を吐いた。昔みたいに自分の後ろに隠して、暁生のことを独占してしまいたい、とか思ってしまう。
 というか、そもそも。
「俺、なんでこんなやつのこと好きなんやろ」
「なんて~?」
 こっそり呟いた独り言を聞きつけて、おかわりを持った暁生が笑顔で飛んでくる。
「なんもあらへんわ、ボケ!」
 なにより優が情けないのは、自分がその大安売りの微笑みに、どこの誰よりもドキドキしてしまっているということだった。


 秋深まる、肌寒い日曜の午前。
 風邪を引いた母の代理で姉の見合いに同席することになった優は、主役の早紀と二人、ホテルの喫茶室で見合い相手と対面していた。
「弟さんですか」
 菱川、と名乗った三十前後だと思わしき男は、正面にいる見合い相手の早紀にではなく、なぜか斜向かいに座る優にばかり話しかけてきた。菱川のほうの付き添いが急遽来れなくなったようで、約束どおり二人でやって来た早紀と優に気を使っているのだろう。
 気合の入った和装姿の早紀から事前に、今日の相手はエリートなのだと聞いていた。大手の冷凍食品会社オカベフーズ大阪支店の営業成績を上げるため、本社から引き抜かれてやって来たのだという。無駄のない動作に乱れのない髪や衣服、表情筋を動かして作ったようなわざとらしい笑顔。完璧すぎる身なりと挙措はいかにもできる営業マンという感じ。
「痛てっ」
「どうされました?」
「いや、なんでも」
 隣で笑顔を崩さない早紀が、テーブルの下でふくらはぎを蹴ってくる。会話をしてるのはさっきからずっと菱川と優の二人だけだった。邪魔だからいい加減に席を外せと言いたいらしい。
「あの俺、そろそろ帰ります。あとは若いお二人で」
 自分のほうが若いけど、とりあえずのセリフを言ってみる。
「まだいいじゃないですか。今日は弟さんも一緒にこのあと食事に行きましょう」
「いやあのー……、俺は仕事があるんで」
 日曜は定休日だが、早紀の帰れオーラがものすごいので、優はオレンジジュースを一気に飲み干して立ち上がった。
「ほんなら、ごゆっくり」
 早紀の恐ろしい笑顔の追い立てに、優は席を離れて菱川に頭を下げた。口をひらいてなにか言おうとした菱川を振りきって、優は早紀の目から発される帰れビームに背中を押されるように、そそくさとホテルをあとにした。

 帰り道、駅から自宅までの道をひとりで歩いていたら、暁生とばったり会ってしまった。
「優どこ行ってたん! そんなおめかしして」
 犬っころのように目を輝かせて駆け寄って来るなり、珍しくオールバックにセットした前髪に触れようとする。優が反射的にその手をはたき落とすと、暁生は嬉しそうに笑いながら痛がった。
「朝っぱらから見合いや」
「見合いぃー!?」
 静かな休日の住宅街に笑顔から一転、悲愴な顔になった暁生の叫びが響きわたる。まだなにか叫びたそうな口を手で塞ぐと、そのまま優は暁生を連れて目立たぬ木陰に移動した。
「アホか、俺やない。姉ちゃんの付き添いや」
「ああなんや、早紀ちゃんかぁ」
「ちょっと考えりゃわかるやろ」
「優の言葉が足りんから悪いんやで」
 通りがかった老夫婦にそろって会釈しながらも、くだらない応酬はしばらく続いた。
「で、相手はどんな人やったん?」
 無人になったところで、暁生がやけに真剣な目をして尋ねてくる。
「んー、真面目そうな、隙のない感じ? なんか、付き添いの俺に気ぃつこて、いっぱい話しかけてくれた」
「ふーん」
 笑顔で相づちを打ち、なんの話をしたのかとさらに尋ねてくる暁生に、優は深く考えもせず誕生日や好きな食べ物や趣味など、菱川に聞かれたことを思いだしながらしゃべった。
「ふーん」
「なんやねん、ふーんふーん、っておんなじ反応ばっかり。気味悪いな」
 詳しく聞きたがるくせに、笑顔を崩さぬままものも言わない暁生に毒を吐いたら、さらに口角を上げて笑みを深める。しかし作り物とわかっていても、暁生の笑顔は菱川と比べ物にならないほど魅力的だ。そんなくだらないことを考えながら胸をときめかせていると、笑顔を崩さぬままの暁生が、す、と一歩、距離を詰めてくる。
「な、なんやねん」
「今日のおまえは、一段とかわいらしいなぁ」
「はあ? 急になに言いだすんじゃボケ」
 口元は笑っているけれど、暁生の目は真剣に自分を見つめている。
「かわいいおでこ丸出しにしてからに。おめかしした格好、ほかの人には見せて、ぼくには見せへんつもりやったん?」
 ヒタリと、額に暁生の手のひらが触れる。
 なに言うてるんや。
 優はそう言葉にしたつもりだったのに、情けないことに口は開きっぱなしで一音も声にはなっていなかった。暁生は二人きりのときはめったに優に触れてこない。それは見せつける第三者もいないのに、ホモをアピールしても意味がないからだと優は思っている。だから気まぐれだとわかっていても、こんなふうに誰もいない場所でじっと見つめられながら体に触れられると、頭がパニックになって、不安と羞恥で心臓が警告音を鳴らしだす。
「気ぃつけなあかんで。おまえは人が良いし、自分が思ってる以上にかわいらしいんやから」
 触れられて赤くなった優の顔は熱が放出して汗をかき、体温が下がっていた。暁生の乾いたぬくい手で触れられ続けると、自分のじめじめした肌がいやらしい煩悩にまみれているみたいでいたたまれない。額から頬へ、さらさらした手の感触が、しっとり湿った肌を滑り降りてゆく。優は目を伏せて触れられる快感をやり過ごし、なんとか笑って見せた。
「なにに気ぃつけるねん。相変わらずくだらん口説き文句ばっかり吐きやがって。俺のことおちょくるんも、たいがいにせぇ」
 話は終わり、と頬を包む手を払って暁生を見上げると、なぜか悲しげな目を向けてくる。
「な、なんやねん」
「相変わらず伝わらんなぁ、思て」
 なにが、と聞き返しかけてとどまる。返ってくる答えは知ってる。ぼくの愛、だ。でもその愛が本物じゃないことも優にはわかっている。
「帰る」
 照れ隠しに不機嫌に言い放ち、暁生に背を向ける。どこかに出かけでもするのだろう、暁生がついてくる気配はなかった。ただ離れて数秒後、ほんまに気ぃつけや、と変に気持ちのこもった言葉が優の耳に届いた。





狂愛のオオカミ少年(3)

「また、あかんかったんかいな」
 昼休みの瀬戸一で、隣のテーブルに座る老婦人が、ぞぞ、と食後のお茶をすすってため息を吐いた。
 三日前の早紀の見合いは、すでに破談に終わっていた。優がホテルの喫茶室を辞してからいったいどんな展開があったのかわからないが、今回の話は白紙に、と昨日の晩、仲介人である菱川の上司から電話で連絡が入った。
「もうすぐ三十路やのに、ええかっこして振袖なんか着て行くから」
「結婚する相手探しに行くのに、猫かぶっても無駄や。あとで結局、化けの皮はがれるんは、わかってんのにアホらしい」
 瀬戸一の常連客たちの容赦ないツッコミに、早紀はテーブルにだん、と両手をつき立ち上がって、声を荒げ反論する。
「今回はウチもこれでよかってん。相手の男、ぜんっぜん、タイプやなかったから」
 優のふくらはぎを蹴ってまで二人きりになりたかった男のことを、タイプでないと表現するには無理がある気がした。うどんをすすりながらこっそり早紀の様子をうかがうと、頭上から思いきりにらみ返された。
 店内にいる全員が早紀の発言を負け惜しみと捉えたらしく、さっきの説教モードから一転なぐさめモードにガラリと雰囲気が変わる。
「まあまあ。でもまた次があるって」
「そうそう。早紀ちゃんにはもっと、猫かぶらんでもええような、気の許せる身近な人のほうがええんちゃうか?」
 身近、というキーワードが出てきたとき、ちょうど厨房から暁生が現れた。
「そうや、アッキーはどうや。こいつやったら早紀ちゃんのことなんでも知ってるで」
「ほんまや、灯台下暗しや。案外ぴったり合うかもしれんぞ。姉さん女房は案外ええでー。しっかりしてて頼りになるから」
 年上の妻を持つ町医者に尻をはたかれた暁生は、状況をつかめない様子で周囲を見回す。
「なになに、いったいなんの話?」
「いやな、早紀ちゃんの結婚相手にアッキーはどうか、って今みんなで言うててん」
「ええーっ」
 驚く暁生を見つめながら、優はこっそり下唇を噛んだ。結婚というリアルな話が出てきて、店内は異常に盛り上がっている。しょっちゅう繰りだされる暁生と自分のホモ話は笑いのネタにしかならないのに、女性である早紀が絡むと途端に話は現実味を帯びだした。男同士でほんまに付き合えだとか、みんなの前でキスして見せろだとか、今までさんざんいじられ続けてきたが、そんなのはたわいない冗談でしかなかったのだと、わかりきっていたことを優は再確認した。
「ぼくは優ひとすじやから」
 期待に満ちた常連客たちの顔を見まわし、暁生はのんびりした顔で笑った。
「だまれ、ヘラオ」
 自分がなにか言わないと、と思ってつっこんだ優の声は、いつも以上に刺々しくなった。
「ウチも弟同然のアッキーなんかごめんやわ」
 早紀が大仰に手を振ると、一瞬の静寂のあと、場は大きな笑いに包まれた。
「美人の弟持つと、苦労すんなぁ」
「なんでウチが振られたみたいになってんのよ!」
 自分の名前が出てきた途端、真面目な結婚話から笑い話へ、場の空気は一変した。優は大笑いする瀬戸一の常連客たちに混じって、ひとり自虐的に笑った。


 しとしとと秋雨の降る夜のこと。優が父親と二人で瀬戸一に明日卸す分のおぼろ昆布を削っていたところ、家のチャイムが鳴った。
「こんばんは。夜分遅くにすみません」
「菱、川さん……?」
 菱川は一度頭を下げると、玄関口で驚いて目を見ひらいている優に向けてわざとらしい笑顔を作ってみせた。

「偽装見合い?」
 優は仕事を切り上げ、話があるという菱川と連れ立って近所のファミリーレストランに入った。そしてそのとんでもない話をすべて語り終えた菱川を前にして眉を寄せる。
「姉ちゃんに恋人がおるって言うんですか?」
「ええ、本人がそうおっしゃってましたから」
「まさか」
 さっきも小雨の降る中、張りきって合コンに出かけて行った姉の姿を思いだし、優は目をすがめて首をひねった。
「それはなんかの間違いやと思いますけど」
「早紀さんは恋人がいることを、ご家族に隠しているのです」
「なんでそんなこと」
「バレてはまずい相手だからではないでしょうか」
 一口飲んだコーヒーのカップをソーサーに戻して、菱川はふっとため息をこぼした。
 優は、見合いの三日後に菱川の上司から電話があり、今回の話は白紙にしてもらいたい、との通達を受けたと母から聞いていた。でも菱川本人の話によると、それは実は表向きの形式であって見合い当日にすでに自分は振られていたのだというのだが―
「そんなアホな!」
 やっぱりおかしい。
 先日の振袖姿の早紀が頭に浮かんできて、優は噴きだした。始めから断るつもりの見合いに、そこまで気合いを入れて行く意味がわからない。面白おかしくそう説明したのに、菱川からはにべもない返答が返ってくる。
「その行動も、恋人の存在を完璧に隠しとおすためには必要なのでしょう」
 ケラケラと笑っていた優は、鉄仮面のような無表情で見つめてくる菱川の視線に刺されて、ゆっくりと笑いを引っこめた。
 早紀に恋人がいる。そんな話は聞いたことがなかった。もし菱川の話が本当なのだとしたら、偽装の見合いに明け暮れ、家族にも隠しとおさなければならない早紀の恋人とは、いったいどんな人間なのだろうか。
「彼女の話を聞いてショックでした。ホテルの喫茶室でお見かけして私は一目惚れをしていたのです。話をしても感じが良く、この縁談はぜひ形にしたいと思っていたので……。でも彼女を責めることはできませんでした。したくもない見合いを繰り返し、そのたび心を痛めながら相手方に謝罪する。大切な恋人の存在を隠し続けなければならないのは、さぞ辛いことでしょう。でも……っ」
「わっ!」
 平坦な調子で語っていた菱川が、突然声を詰まらせ、優の右手を両手で握りしめた。
「気持ちの整理がつかないんです。この想いをいったいどこにぶつければいいのか……。転勤してきたばかりで私には相談相手が近くにいません。弟さんにこんな話をするのは筋違いだと承知しております。でもどうしてもこのことを誰かに聞いてほしくて」
 握られた手に力がこもる。さらにその手を引き寄せられそうになって、優は慌ててカップとソーサを端に寄せ、空いてる左手で菱川の肩を宥めるように叩いた。
「落ちついてください、菱川さん! 俺なんかでよかったら、いつでも話聞くんで」
「ほ、ほんとですか!」
 テーブルから顔を上げた菱川がすがるような目を向けてくる。知り合いのいない住みなれない街にやって来て、早々に恋心を打ち砕かれたのは想像する以上にダメージが大きいのかもしれない。必死に訴えかけてくる菱川の表情を見て、優は気の毒になっていった。
 話を終え、店を出ると雨は止んでいた。優が電話番号を教えると、近々連絡しますね、と菱川は嬉しそうに笑って去っていった。水を吸って黒光りする夜の舗道を軽やかな足取りで遠ざかっていく後ろ姿を、優は同情の視線で見送った。


 厨房にいる暁生の両親にごちそうさまと声をかけ、優は瀬戸一の店内から外に出た。十一月も半ばを過ぎ、日増しに気温は低下している。パーカーの袖の中に指先まで隠し、優ははためく暖簾の下でブルッと体を震わせた。
 今日の昼は、めずらしく早紀が人と食事の約束をしているというので(もしや例の恋人とデート?)優はひとりでうどん屋を訪れていた。店内にはこちらもめずらしく暁生の姿がなく、優はおいしいうどんを食べたあとなのに、なんだか胸のあたりが満たされてない奇妙な感覚を味わっていた。
「どこ行ったんやろ……」
 暁生の母はすぐに帰ってくると言っていたが、いつもの時間にいつもいる男がいないと気になって仕方がない。優はジーパンの尻ポケットから携帯電話を取りだし、着信履歴をさかのぼってみたが、そこに暁生の名前はない。毎日顔を合わせているのだから、わざわざ電話をしてまで話すことなんてないからだ。代わりにいくつか並んでいるのは菱川の名前だった。ファミリーレストランで相談を受けてから二週間。その間に菱川から四度の電話がかかってきていた。電話口で弱音を吐く菱川に少しでも元気になってもらおうと、昨夜も優は布団の中で根気よく勇気づけていた。
 寝不足の目をこすりながら、暁生と遭遇することをうっすら期待しつつ昼休みの町をぶらついていると、『喫茶黒バラ』の前に地元民の小さな人だかりができているのを見つけた。みんな店に入ろうとはせず、中の様子を隠れてうかがっている。黒バラは店内が薄暗くBGMが大きいことが特徴の、町内では密談に使われることで有名な喫茶店である。
「なにしてんの」
 覗き見しているかたまりに声をかけると、全員が振り返り、好奇心丸出しの顔で手招きしてくる。
「世にもめずらしい、デート現場や」
 背中を押されて、優はガラス窓から薄暗い店内を覗きこんだ。いちばん奥の目立たないテーブル席に、男女が座っているのが見える。
「あき、お……?」
 目をこらして見てみると、その二人は暁生と早紀だとわかった。小さなテーブルに乗りだして、真剣な表情で顔を寄せ合っている。
「なに話してんねやろう」
 優の心を代弁するように誰かが呟く。若い男女が二人で一緒にいるくらいでは町のみんなは騒いだりしない。だけどわざわざ仕事の合間に密談用の喫茶店で落ち合っているので、暁生と早紀はこんなに注目されているのだ。
「優、おまえの彼氏が姉ちゃんにとられるぞ」
 どこぞのお調子者の発言で、野次馬のかたまりに小さな笑いが起こる。
「まさか姉ちゃんのほうが本命やったとはな」
 この前、冗談で終わったばかりの結婚話がまた新たな進展を見せていた。
「どうしてん、優」
 前に立っていた男が振り返って、優の顔を見るなり眉を寄せた。
「なにが」
「顔、むちゃくちゃ青いぞ」
 そう指摘されて、優はたしかにクラクラすると思った。
「貧血や!」
 誰かがそう診断を下すのと同時に、優はふらりと人だかりの中央に倒れこんだ。





狂愛のオオカミ少年(4)

 今日は木曜で金曜ではないのに、暁生が手作りのシュークリームを持参してやって来た。
「道端で、貧血になって倒れたんやてね」
 どこからか情報を仕入れたのだろう。暁生は心配そうな顔で優の頬に触れてから、急須から湯呑に玄米茶を注いだ。男が貧血で倒れたなんて笑い話にしかならないのに、優の体のことを本気で気づかってくれる。暁生のこういうまっすぐな優しさに惚れているのだろうと、優は自分を分析する。
 暁生は焼いたシュー生地の底に小さな穴を開け、優の前でカスタードクリームを詰めこんでいく。はい、とずっしり重いできたてのシュークリームを手渡され、優はいただきますと小声で呟いて、柔らかな生地の頭に歯を立てた。
「しっかり食べて、栄養とらなあかんで」
 小さく頷くと、暁生はほっとしたように頬を緩めて静かに微笑んだ。こんな普段はめったに見せない特別な笑顔や優しい気づかいを、自分以外の誰かも受け取っていると想像したら胸の中が冷たくなった。だけどこれは幼なじみの特権なんだとも思う。暁生はもちろん万人に優しいけれど、優は自分がほかの人より多少ひいきされているという自覚があった。普段は愛のほら吹き男であるが、優が辛かったり困ってたりするのを見つけたら優先して助けてくれるし、ほかでは言わない悩みや日常の些細なことまで隠さず打ち明けてくれる。
 それなのに、今日はどうして昼に早紀と会っていたことを黙っているのだろう。事前に説明してくれたり、今だってクリームを詰めながら早紀ちゃんと昼に会ってん、ってなんでもないことのように話してくれたら、優もきっとここまでは気にしていない。あんな人目につかない場所で、誰にも言わずこっそり密会したりなんかするから、みんなが二人は付き合ってるって噂するんだ。
 というか、本当に付き合ってるんじゃないのか。そんなひとつの仮定が、頭の中に浮かび上がった。菱川が言っていた早紀の恋人というのは、暁生なのではないだろうか。
「まさかな」
「ん?」
 思わず口から漏れた独り言に、暁生がクリームを詰める手を止めて反応した。
「んーん」
 優はなんでもないと首を振り、暁生が作業を再開するのを見届けると、思いついたばかりのとんでもない妄想に再び立ち返る。
 早紀が夜中に合コンだと言って出かけて行くのは、本当は暁生との逢引なのかもしれない。早紀が身内に暁生と付き合ってると言えないのは、ホモカップルとして騒がれてる弟の自分に遠慮しているからなのかもしれない。
 そういえば。この前の早紀の見合いの帰りに暁生とばったり会ったときのことを思いだす。優が聞かれるままに早紀の見合い相手のことを話したら、暁生は微妙な表情でふーん、と曖昧な返事を繰り返していた。あれは二人の関係を隠すために必要な行動だとしても、やはり自分の恋人が別の誰かと見合いしてると改めて聞かされ、不機嫌になったからなのではないか。瀬戸一の店内で二人の結婚話になったとき暁生と早紀はどんな顔をしてた? 自分に遠慮してなかったか? 自分の顔色をうかがってなかったか? 自分さえいなければ二人の恋路になんの問題もなかったんじゃないか? 暁生が今まで自分に優しくしてくれていたのは、早紀の弟だからじゃないのか。
 行きすぎた妄想が一気に脳を駆けめぐったそのとき―
「あ」
 ぼとっと太ももの上に冷たいものが落ちた。
「あーっ」
 暁生の声にビクッと肩を揺らして、優は自分の太ももを見た。ジーンズの上にカスタードクリームがだらりと広がっている。ずっと手に持っていたシュー生地が体温で温められて破れ、詰められたばかりの中身がごっそり落下していた。
「どうしたん? 今日の優、妙に大人しいしなんか変やで。やっぱり体しんどいんか?」
 皮だけになったシュークリームを左手に持ったまま動かない優に、暁生が心配顔で近づいてくる。暁生の持つタオルが自分の太ももに触れる寸前、優はその近づいてきた手首を汚れていない右手でつかんだ。
「な、なに? どないしたん?」
「暁生。おまえ、俺に隠し事なんかしてないよな?」
 不安に苛まれ、優は暁生の目をまっすぐ見つめて尋ねた。
優に隠し事なんかせんよ。アホやなぁ、ぼくが早紀ちゃんと付き合ってるわけないやん。
そんなふうに答えてもらいたかった。もらえると思ってた。だけど現実の暁生は、犬みたいに濡れた黒目を微かに揺らして言った。
「え……、なんの、こと?」
 一度、不自然な瞬きをしたあと、ふっと微笑む。普段、笑顔を武器にしている暁生も突然の尋問には嘘を隠しきれなかった。優にはそんなふうに見えた。
 優はきつくつかんでいた暁生の手首をそっと離すと、震える喉から声をしぼりだした。
「…………帰れ」
「…………え、待って。な、なんで? 急にどうしたん、優」
「どないもせん。そんでしばらく来るな。俺も瀬戸一にはしばらく行かん」
「なんで!」
「なんでもじゃ!」
 広い背中をぐいぐい押して、暁生を玄関から追いだす。目の前で扉を閉め、外でなにかしゃべっているのを無視していると、しばらくしてあきらめたのか声は聞こえなくなった。
 静かになった玄関に突っ立ったまま、ジーパンから垂れたクリームで汚れた三和土を見下ろす。
 優は自分をめちゃくちゃだと思った。隠し事をされたぐらいで、倒れた自分を心配してシュークリームまで作ってきてくれた暁生をあんな乱暴に追いだすなんて。自分でも酷いことをしてるとわかっていた。でもそうでもしないと暁生の前で泣きだしてしまいそうだった。暁生に隠し事をされてるという事実に優は打ちのめされていた。普段はのらくら冗談の愛ばかり囁いているが、こんな真正面から目を見て嘘をつかれたことはない。優しい暁生が優に隠していること。とぼけた振りで言わないその内容。自分の脳が作り上げたばかりの妄想が一気に現実味を帯びだした。
「暁生と姉ちゃんは、ほんまに付き合ってる」
 声に出してはっきり言いきってみると、ひらいた口から震える息がもれた。
 暁生は自分から冗談でホモごっこを始めてしまった手前、町民を巻きこんで名物化したことであとに引けなくなっているのかもしれない。そして早紀のほうは、長年にわたってくだらない噂をまき散らしてきた町の名物であるおもしろホモカップルの存在に遠慮して、恋人の公表を躊躇しているのだとしたら。
 単なる思いつきで立てた仮説は、案外、つじつまが合っていた。当人は自分たちの恋愛のせいで周囲に落胆を与えると思いこんでいるのかもしれないが、町のみんなの反応を見るかぎりそれはなさそうだ。二人が付き合っていることを知れば、優とのくだらないホモの噂なんて一気に吹き飛んで、現実の結婚話で盛り上がるに違いなかった。
 自分が暁生と早紀の恋の障害物となっている。優はそう思った。鍵をにぎっているのだ。二人の恋路をバラ色に染めるのも灰色に染めるのも、自分次第。優が自ら暁生との噂をぶち壊すことで、二人は幸せになれる。
 もう嫌になった。ホモカップルとか寒いことは、今日かぎりで終わりにしようや。
 暁生にそう言って長年続けてきた冗談を終わらせればいい。ただそれだけの話。そうすればみんなが幸せになる。ただ一点、自分の感情さえ介入させなければ、すべて丸く収まる。優は暁生の手から奪ったタオルでジーパンの汚れを取ったあと、クリームまみれのそれで流れ落ちる涙をぬぐった。もうどこからが妄想でどこまでが現実なのか、わからなくなっていた。暁生に隠し事をされたショックで、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
 でもそんなふうに暁生を責めているけれど、隠し事があるのは優のほうも一緒だ。町民たちにホモと騒ぎたてられながら、この噂がいつか本当になればいいとこっそり願っていた。もし自分も好きだと返したら暁生はどんな反応を示すだろう。そんなことを考えてみたことが何度もある。でも想像の中の暁生は決まって、優の言葉に困った苦笑いを浮かべていた。それが現実になるのが怖くて、優からは暁生に本当の気持ちを伝えたことがなかった。好きだ愛してると嫌になるほど囁かれ続けてきたが、本当に相手を想っているのは自分のほうだけだったという間抜けな結末。暁生も優も嘘つきだ。お互い本心は心に隠したまま、ずっとバカみたいな芝居を続けてきた。
 でももう、いいかげん終わらせよう。
 優は手で濡れた頬をはたき、止まらない涙を気合いで引っこめ居間に戻った。卓袱台に置かれたほとんど完成しているシュークリームを見下ろす。自分の体を気づかって、暁生が作ってくれた愛おしいおやつ。だけどその愛は、友情の域を出ることはない。優はあふれだしそうな自分の気持ちに蓋をするように皿にラップフィルムをかけ、汚した畳を水ぶきすると、静かに居間をあとにした。

『今日は声に元気がないですね』
 自室に入ると同時にかかってきた電話に出ると、菱川はそんなことを言った。
『泣いてるの?』
 声に湿り気が混じっていたのか、言い当てられてどきりとする。涙声をごまかすように優がから元気を演じていると、菱川が今日は自分のほうが相談に乗ると提案してきた。
「いや、大した話やないんで」
『でも泣くほど辛かったのでしょう? 話すだけでも楽になりますよ』
 優しい言葉をかけてくれる菱川の気づかいを無駄にしないよう、優はたった今起きたことを打ち明けた。
「実は……、失恋、したんです」
『そう、だったのですか!』
 思い切って伝えたらなぜか弾んだ声が返ってきて不審に思っていると、ひとつ咳払いをした菱川が、それはさぞ辛かったでしょう、と暗いトーンでつけ足した。
 失恋相手が男であるということと、その恋人が姉であるということは伏せて、優は長年の片思いに終止符が打たれた経緯を簡単に説明した。そして話を聞き終えた菱川は、深刻な声でひどい人ですね、と言った。
『優さんをその気にさせておいて、自分はほかで恋人を作っているなんて』
「いや、でも冗談で好きや、言うてる相手に本気になってしもた俺がアホなんです」
 失恋という同じ経験を共有しているため、優は菱川に親近感を覚えていた。それになぜかすごく話が合うのだ。今までは悩み相談を受けていただけだったから気づかなかったが、脱線して趣味の話になると、怖いくらいぴたりと二人の好みは一致していて、話は尽きることなく夜遅くまで続いた。
「今日はほんまに、ありがとうございました」
 ふとした間に暁生と早紀のことを考えてしまいそうになると、菱川が優の好きなスポーツ観戦の話題や映画の話題を振ってくれたので、話しているあいだは暗い気持ちが紛れた。
『こちらこそ。そうだ、今度よかったら気分転換に、一緒に映画でも観に行きませんか?』
 週末に封切されるゾンビ映画のチケットをちょうど二枚持っているのだ、と言われ、優はまた驚いた。それは優が大好きな監督が久々にメガホンを取った映画で、公開されたら必ず観に行こうと思っていたからだ。
 本当はこの映画も暁生を誘って観るつもりだった。暁生はそれほど映画が好きではないけど、滅多にないことだからか優に誘われると二つ返事でついてくる。そんなテンションの高い暁生と隣同士で、バケツのポップコーンを抱えて観る映画が優は大好きだった。
「連れていってくれますか?」
 優はちく、と痛む胸を押さえて返事をした。もう暁生を忘れる努力をしなくてはならない。いつまでも執着していてはいけない。
 週末の夕刻に菱川と映画館で落ち合う約束をして電話を切ると、優は暁生と大好きな映画が観れないことが寂しくて、また少し泣いてしまった。





狂愛のオオカミ少年(5)

 菱川が持っていたチケットはなぜかカップルシートで、優は映画を観ている最中、ときどき腕や肩がぶつかるのが気になっていた。
「でもけっこうおもろかったです。最後の大量発生したゾンビを焼きつくすところ、迫力あったなぁ。そう思いません?」
 コーラフロートをかき混ぜる手を止めて正面の菱川を見ると、そうだね、と上の空の答えが返ってきた。
 映画を観ているとき、菱川は終始もぞもぞと動いていて優以上に集中していなかった。優は菱川がこのカップルシートのチケットを早紀と観るために買ったんじゃないかと推測した。彼女と観れなくなってしまった代わりに趣味の合う優を誘って観ることにしたが、やはりどうしても早紀のことを思いだしてしまって映画に集中できなかったのではないだろうか、と。優も本当は暁生と観に来たかったから、そんな菱川の気持ちがわかる気がした。自分自身と重ね合わせそう結論し、優は目の前のそわそわした男に同調して同情した。
「元気、出しましょね?」
 首を傾け、にっこり微笑んだ優を見て、菱川がテーブルに手をついて唐突に立ち上がる。
「ば、場所を変えませんか? あの、ここは人が多すぎるし」
「は?」
 特に人が多くて困る状況ではないので、優は意味がよくわからないと眉根を寄せた。
「もう少し静かな場所で、ゆっくりと映画の感想を語り合いたいんです」
「はあ……」
 ここは映画館に隣接するファミリーレストランで、今日は日曜のため家族連れやカップルであふれていてたしかに騒がしい。でもそこまでして語りたいと思うほど、優には菱川がこの映画に集中していたようには見えなかったのだけど。不思議に思って返事もせず瞬きを繰り返していると、突然、グラスに触れていた手を握られる。
「うわっ、なにっ!?」
「さ、行きましょう」
 承諾の返事もしないうちに繋いだ手を引かれる。優は呆然としたまま、すたすたと歩きだした菱川のあとについて店を出た。ガラス越しの店内に目を向けると、自分の残した、コーラとアイスが混ざり合ったいちばんおいしい状態のフロートが店員によって片づけられようとしていた。トレイに乗せられ運ばれてゆくフロートを店外から未練たらしく目で追っていると、前を歩いていた菱川が急に立ち止まった。何事か、と思うよりさきに次の一歩目は出てしまっていて、優は目の前に突然現れた人間の肩口に思いきり顔面をぶつけてしまった。
「痛って!」
 鼻の骨がじーんと痛む。あまりの衝撃に謝ることも忘れて涙目で顔を上げると、目の前には、暁生がいた。
「え…………。うわっ、なにしてんねんおまえ、こんなとこで」
 別に休日に暁生がどこでなにしてようが勝手だが、優は三日ぶりに偶然会ってしまった驚きで思わずそんなことを言ってしまった。
「ゾンビの映画、楽しかった?」
「あ、あー? ああ……」
 なんで映画観たって、知ってるんやろう?
 そんな疑問がちらりと頭をよぎったが、すぐさま消える。そんなことより優は、暁生の様子がいつもと違うことが気になった。尋ねてくる顔はやはり笑顔だったけど、でも目が全然笑ってなくて、むしろカンカンに怒っていて、それでいてつい今まで菱川に握られていた優の手を両手で包むようにして愛おしげに撫でさすっている。なにかが変だ。
「帰ろっか」
 優の頭の形を確かめるように、左手のひらでさらりと黒髪を撫でると、こちらも菱川と同様、返事を待たずに手を引いて歩きだす。
「ま、待てよ、君! 急に現れて、いったいなんなんだ!」
 優を連れ去ろうとする暁生に、菱川は声を荒げた。確かに。菱川の言ってることは正論だった。彼はなにも悪くない。悪くないはずなのだけど。
「…………黙れ」
 感情の見えない静かな声が聞こえて、優は言われた本人でもないのにびくっと肩を震わせた。いつもニコニコふわふわしている暁生が誰かにそんな刺々しい言葉をかけるのを、優は今まで見たことがなかった。しばらく沈黙していた暁生が、ゆったりと振り返った。そして気だるげに首をぐるりと回したあと、菱川の目を真正面からじっと見つめる。
「な、なんだよ! いったい誰なんだ、君は」
 尋ねた菱川に答えを返すことはせず、暁生はニィー、と唇を真横に伸ばして怪しく微笑んだ。そしてまたくるりと踵を返すと、暁生はふたたび優を引っぱって歩きだす。優はなにがなんだかさっぱりわからないまま、振り返って呆気にとられる菱川に向け、謝罪と別れの挨拶代わりの会釈をした。
 暁生が菱川に最後に見せた笑顔を、優は横から見ていた。それはさっき観た映画に出てくるどのゾンビよりも空恐ろしかった。

 無言で手を引かれたまま連れてかれたさきは暁生の部屋だった。着くなり暁生は、ちょっと待ってて、と優をひとり残して消えた。そして部屋を出た十分後に笑顔で戻ってきた暁生の手には、平たい大きな皿が一枚。苺の甘ずっぱい香りを振りまくその皿の中身は優の大好物のミルフィーユだった。
「優のために作ってん。一緒に食べよ」
 暁生はローテーブルに皿を置くと鼻歌交じりにミルフィーユを切り分けだした。優はその変に陽気な暁生を見下ろし、首を傾げた。
「おまえ、今日なんか変や」
 暁生がミルフィーユを作るのは優の誕生日だけと決まっている。一度おやつの中でミルフィーユがいちばん好きなのだと教えたら、手間もかかるのに毎週のように作りだしたため優のほうから年一回でいいと提案したのだ。今日まで暁生は優の言うことを聞いて、それを忠実に守っていたのだけれど。
「なにが?」
 ナイフを片手に顔を上げた暁生は、ちょっとだけ泣きそうな目をしていた。それは昔、自分の後ろをついてきていた泣き虫の小さな暁生と似ている気がした。優はそんな暁生に久々に庇護欲をかきたてられ、その場にしゃがんで泣きそうな目と目線を合わせた。
「だって約束の日やないのに俺の好物作るし。菱川さん、さっき俺と一緒におった人な。あの人に、初対面やのに失礼なこと言うし」
 今思いだしてもさっきの態度は暁生らしくなかった。いつもはお行儀のいい大型犬が、まるで野生の血を思いだしたように菱川に食ってかかるさまを見て、優は暁生が暁生じゃなくなってしまったみたいで怖かった。
「あの人のこと、好きなん?」
「はあ?」
 唐突にわけのわからないことを言われ、優は暁生と目を合わせたまま眉を寄せた。
「だって一緒に映画観たあと、手繋いで歩いてたやん」
 なにを言いだすのかと思ったら。どうやら暁生は、優が菱川に手を引っぱられていたのを自主的に繋いでいたと見間違えたらしい。
「アホか、あれは手引っぱられて。あの人のこと好きなわけないやろ。俺は―」
 おまえが好きやのに。
 うっかり言いかけて、口を閉じる。危ない。自分の恋愛感情をあらためて意識すると、優は至近距離で暁生と見つめ合っていることに耐えられなくなった。目の前の強い眼差しから、すっと目をそらし立ち上がろうとしたら、伸ばしかけた膝を上から押さえられた。
「うわ……っ、なにすんねん!」
 暁生のせいでバランスを崩し尻もちをついた優は、すぐさま自分の膝上をつかむ大きな手を外させようとしたのだけれど。
「ちょ、離せ、ボケナスっ、こらっ、暁生!」
 手で払っても足をジタバタさせても、暁生の力のこもった手はジーンズ越しの膝上をきつくつかんでいて離してくれない。心臓が緊急事態を知らせるように激しく高鳴る。なにを考えているかわからない暁生が怖くもあったが、それ以上に優は、恋する相手からの思いがけない大胆な接触に、意思とは別のところで勝手に疼きだした身体を持て余して泣きそうになっていた。とにかくこの甘酸っぱい緊張から逃れようと尻もちをついたまま後ずさると、望みどおり膝は解放されたものの、今度は肩をつかまれて床に押し倒される。
「なに、すんねん……」
 もっと大きな声で叱りたかったが、感情を爆発させると涙がこぼれ落ちそうで、優の声は前にいる暁生にやっと届く程度の囁きにしかならなかった。
「なんで、あの人と映画行ったん?」
「なんでって……、なんとなくや」
 まさか失恋した者同士、気晴らしに出かけたとは言えなかった。その失恋した相手が、今まさに、真上から自分を見下ろしている男なのだから。
「なんでぼくを誘えへんの?」
「だっておまえ、ゾンビ嫌いやろ」
 暁生はホラー映画が苦手だ。ほかのジャンルだと大人しく観ているが、血や化け物が出てくるとわーわー叫んだり、耳を塞いだり、隣の優の背中の後ろに隠れようとしたりで騒がしい。優的には、普段笑顔を振りまくイケメンの暁生の、子供に戻ったみたいな反応が見れるのが楽しくて誘っていたのだが、暁生的には苦手なゾンビ映画に誘われなかったことのなにが不満なのだろうか。
「それでも、いつもはぼくを誘ってた」
「…………そうやけど」
 どうやら映画の内容云々でなく、誘われなかったことが不満だと言う。嘘っぱちの愛の言葉を釣り餌にしてさんざん優のことを泳がせておいたくせに、暁生はまだ自分をいちばんに優先しろと言いたいらしい。
「けど、おまえかって忙しいやろ」
 そして当の本人は優に隠れて、早紀という恋人と睦まじい時間を過ごしているのだ。そんなことを考えていた優の言葉は、冷静を装って言ったつもりでも、本心が顔を出して刺々しく響いた。
「忙しいって、なにが?」
「デート、とか」
「で、デート? だだだ、誰とよ?」
「うちの姉ちゃんと。隠れて逢い引きしとんやろ?」
 喫茶黒バラで。
「…………へっ?」
 素っ頓狂な声を上げて自分を見下ろしてくる暁生を、優は心底憎たらしいと思った。何度も愛を囁いて自分のことをこんなに夢中にさせたくせに、本命は別に作っているなんて罪作りにもほどがある。
「なに言うてんの、優?」
 さっきまで肩を強く押しつけていた力が緩んだ。自分を見下ろし、ヘラリと笑う暁生を見ると、優の頭にカッと血が昇った。
 形勢逆転。優は暁生のシャツの胸ぐらをつかむと勢いをつけて上半身を起こした。うわ、と叫んだ暁生の腹にまたがり、今度は自分が上になって仰向けに倒れた暁生を見下ろす。
「ええかげんにせえよ、おまえ」
「な、なにが?」
「さんざん愛の言葉吐き散らしやがったくせに。俺に内緒で姉ちゃんと付き合いやがって」
「ゆ、優? ちょちょちょ、ちょお待って。なに言うてんの?」
「うっさい、黙れ」
 頭に血が昇った優は、この仮説が自分の妄想から生まれたものだということをすっかり失念していた。自分の下であたふたしている暁生を、隠し事がバレて焦っているのだと、さらに妄想を膨らます。
「楽しかったか? 嘘っぱちの愛の言葉ひとつで、毎日毎日ドキドキしてる俺のこと見て」
「え? 優、ドキドキしてたん?」
「してたわ! 悪いか、クソボケぇ」
 そう言い放つと、両手でつかんだ暁生の胸ぐらをぐらぐら揺らす。自分が揺らしているせいなのだが、わーとかぎゃーとか言うだけでまともなことを言わない暁生に苛つき、優はやけっぱちで叫んだ。
「おまえが冗談で好き好き言いまくるから、俺のほうが好きになってしもたんや!」
 悲愴な声が空気を振動させて消えると、六畳の室内はしんと静寂に包まれた。直後、真下ではっと息を呑んだ暁生を見た瞬間、優の目からぽろりと一粒の涙が落ちた。
 こんなことを言うつもりじゃなかった。最後は冷静に、ホモなんかもうやめや、とかそんなふうにかっこよく言って、身を引く計画だったのに。久々に訪れたこの部屋で、いつもと様子の違う暁生に押し倒され、優は緊張とパニックの中、完全に取り乱してしまった。





狂愛のオオカミ少年(6)

「優、今言うたん、ほんま?」
 暁生にしては落ちついた真剣な声が聞こえてきて、優はそこでやっと我に返った。ついうっかり感情を爆発させてしまったが、好きだと言ってしまった事実は消せない。でもこんな自分のくだらない恋心のせいで、暁生と早紀が幸せになれないのは間違ってる。それだけはどうしても避けたい。優はひとつ大きな息を吐きだすと、溢れそうな自分の気持ちを無理やり押しこめてゆっくり言葉を紡いだ。
「ほんまやけど、もうええねん。今言うたことは忘れろ」
「なんで忘れなあかんの。そんな大事なこと」
「大事てなんやねん。アホか。おまえは姉ちゃんと付き合ってるくせに」
「優、それさっきから、なに言うてんの?」
 真正面から濡れた目を見つめられる。優はいつのまにか上半身を起こしていた暁生と、体を密着させて向かい合っていた。そのあまりに近すぎる距離に耐えられず暁生の胸を手のひらで押して身をよじったが、すぐさまその手は拘束され、離れることは許さないというように腰回りに長い脚が巻きついてきた。
「ちょお、離せ……っ」
「なんでぼくが早紀ちゃんと付き合ってることになってんの? そんなん誰が言うてんの」
「誰って」
 町のみんなが噂してたし、菱川が早紀には恋人がいるって言ってたし、黒バラで二人きりで密会してたのを見たし。ふたたびパニックに陥りかけながらも頭の中で確認していくと、どれも二人が付き合ってると断定するには信憑性が薄すぎる情報ばかりだと気づく。
「ぼく、早紀ちゃんと付き合ってへんで。だってぼくは、優のことが好きやねんから」
「もうええ、その冗談。いい加減聞き飽きた」
 ふん、と吐き捨てるように笑って、こちらもいい加減言い飽きた言葉を返すと。
「ほんまに、おまえは……」
 疲れた声を発して、暁生が大きなため息を吐く。その暁生にしては珍しい冷酷な反応に、自虐的に微笑んでいた優の顔が強張る。
「もうそろそろ、信じてよ」
 ため息まじりの甘い声が耳元で囁かれた直後、目の前の暁生との距離が一瞬でなくなる。さっきからずっと顔が近いと思っていたけど、今はそれどころの話じゃない。というかくっついてる? 目いっぱいひらけた優の視界には、暁生の睫毛しか映っていない。
「んっ、んふっ、んんんーっ」
 キスをされてるんだって気づくまで、ゆうに五秒は費やした。唇に触れる柔らかな感覚を知覚した途端、優はタコよりも顔を真っ赤にして暁生の胸を力の入らない拳で叩いた。
「ん、んぁ、はぁ……、はな、れろっ」
 なんとか唇を引きはがすことに成功したものの、熱が一気に上昇した優の脳内は、たった今起きた出来事をうまく飲みこめていない。
 暁生と早紀は付き合ってる? 暁生は付き合ってないと言う。だけどそんな暁生はほら吹きのオオカミ少年のはずで、今までさんざん吹きこまれてきた口説き文句は全部ウソのはずで、真実なんかただのひとつもなく、すべては名物ホモカップルで居続けるための演技のはずで。だけどいったいそんなこと誰が決めた? 好きだと愛してると言われれば言われるほど信用できなくなっていったけれど、それが嘘だって誰が決めた?
「ごめんな、怖かったやろ」
 気まずそうに笑ったあと、暁生は優の髪を撫でた。毎度変わらない大きく温かい手の感触。暁生は人前でもどこでも優に驚くほど優しく丁寧に触れた。だから今ごめんと謝ったのはきっと、さっきのキスが強引だったと自分なりに反省しているからなのだろう。
「でもこうでもせんと、優たぶん一生気づいてくれへんやろうから」
 そう言って困った顔で笑うと暁生は、それでもごめん、と言った。いつもそうだった。どんなに暴言を吐いても暁生は愛想を尽かさず、優を大切にあつかってくれた。小さいころからずっと変わらない愛。それは友情か、恋愛感情か。一緒にいる時間が長すぎたため、暁生から発される親愛と恋愛の節目になる明確な変化を優は見極められなかった。
「まじでか」
 放心してぽつりと呟くと、暁生はあきれて大きなため息を吐いた。
「まじやて、ずーっと言うてるやん」
 だけど優が見極められなかったのは、半分は暁生のせいで。
「おまえが耳にタコできるくらいクサい台詞を連発するから、なにがホンマかわからんようになってもうたんや!」
 責任転嫁をする優の濡れた頬を指の腹で拭いながら、暁生はヘラっと笑った。
「だって優が信じてくれへんから。愛をいっぱい囁いて、質より量でわかってもらおかな~、って思て」
「普通そこは、量より質やろ、アホンダラ」
 照れくさくていつも以上に口が悪くなってしまったが、暁生はまったく気にした様子もなく、優の暴言を受けとめてさっきより笑みを深めている。
「でも、質のほうでもそれなりにアピールしてたんやけども」
「なんやねん、質でアピールて」
「これこれ」
 暁生はテーブルから自作のミルフィーユの皿を引き寄せると、一口大に割ってフォークのカーブに乗せ、優の目の前に差しだした。
「はい、あーん」
「なんのマネや」
「いいから食べ」
 半ば無理やり口の中に押しこまれ、赤くなりながら咀嚼する。苺の酸味とカスタードの甘みが、サクサクのパイ生地と絡み合って口の中でとけた。文句のつけどころのない、優のいちばん好きなミルフィーユの味だ。
「ぼくがなんで毎週、甘いもん作ってると思ってるんよ」
「なんでって、作るのが趣味やからやろ」
「違うよもう。おまえが甘いもん好きやからや。今日かて誕生日でも金曜日でもないのにミルフィーユ作ったんは、おまえと仲直りしたかったからやねんで」
 話を聞いてそういえばケンカ中だったと思いだす。ケンカと言っても、優が一方的に落ちこんで突き放していただけなのだが。
「中三のバレンタインのとき、優、学年でいちばん人気のある女子から手作りのチョコケーキもらってたやろ? それをぼくの前でおいしそうに食べてて、めっちゃ悔しい思いしてん。ぼくかって優に手作りのお菓子作って食べさせて喜ばせたいって思ったのんが、ぼくがお菓子作り始めたきっかけやねん」
「はあ」
 なんとも言えず気の抜けた返事を返すと、暁生は優の魂が抜けていると思ったのか、目の前で、聞いてる? と手を振った。
 あの暁生が初めて作った、塩のたっぷり入ったチョコレートケーキは、その女の子に対抗して製作されたものだったらしい。
「そんでぼくの作る甘い菓子にほだされて、スイーツ好きなおまえが最終的にぼくになびけばいいな~、とか考えたりして。な? ぼくの優への愛は質的にも充実してるやろ?」
「それ、ただの餌付けやないかい!」
 今さら知る事実にくらくらする。まさかそんな魂胆があったなんて。ツッコミを入れつつも、真っ赤に染まってるはずの顔を隠すようにうつむいていると、暁生がなあなあ、と甘えた声を出してすり寄ってくる。
「なんやねん」
「ぼくはほんまに優が好きやで」
「でもおまえが、お客さんの女の子からラブレター受けとってたん、見たことある」
 なおまだ信じられなくて、心に引っかかっていた過去の出来事を掘り起こすと客商売やからなぁ、と暁生にしてはドライな答えが返ってくる。
「突き返すのも失礼やろう? でもちゃんと丁重にお断りしたで。好きな子がおるんですって言うたら納得してくれた」
「好きな子て、ほんまに俺なんか?」
「ほかに誰がおるんよ。ぼくは生まれてこのかた優ひとすじやで」
「…………やっぱ胡散くさい」
「まだ言うかぁ? かわいい顔して毒吐く口の悪さも、正義感からくる人の良さも、おまえの全部を愛してるこのぼくに向かって」
 ぎゅっと鼻をつままれる。口では疑ってみていたが、そんなふざけた接触と暁生の口説き文句に胸はきゅんきゅん高鳴ってゆく。
 好きだ、愛してる、ひとすじだと耳がもげそうになるほど何度も聞いた。回数が増えるたびに信じられなくなったけれど、どうやら真実は言葉どおりだったようだ。オオカミ少年だと決めつけていた暁生の言葉に、嘘はひとつもなかった。優が変わってしまったと思っていた暁生は、小学生のころからなにひとつ変わっていなかった。
 正直で、素直で、優しくて、まっすぐで。
 暁生は優の忠告を受け入れて、よく笑うようになった。ただ、それだけのことだった。だけど優のほうは、暁生の周囲に群がる女の子たちに嫉妬し、素直な少年が食えないカサノバに変わってしまったと曲解した。そんなふうにまっすぐ見つめてくる暁生をななめから見返して、ひとりで勝手に絶望していただけだった。昔と違ってねじ曲がってしまったのは、暁生ではなく自分のほうだったのだと、優は今になって気づいた。
「ぼくが早紀ちゃんと付き合ったら嫌?」
 まっすぐな瞳に見つめられて、優は自分もまた昔のように素直になろうと思った。
「嫌や」
「なんで?」
 首をひねって尋ねてくる暁生に、優はずっと怖くて言えなかった言葉を静かに紡ぐ。
「おまえのことが、好きやからに決まってるやろ」
 かすれた声が情けなく響いたけど、暁生は気にしたふうじゃなかった。
「そっかぁ」
「そうや、悪いか」
 そっと顔を上げて、暁生をにらみつける。
「悪くない悪くない」
 うんうんうなずく暁生が本当に幸せそうに笑うから、優の強張っていた顔の筋肉はふにゃりと緩み、思わずつられて笑っていた。しばらく二人でヘラヘラヘラオになっていたら。
「あのな、おまえの唇の端っこに、パイがついてるねんけど」
「どこよ?」
 右か左か。パイつけたまま好きとか言うてたなんて間抜けすぎる。さっさと取ろうと手を顔に近づけると、その手首をつかまれる。
「なにすんねん」
「ぼくが取ってもええ?」
「ええけど。なんやねんニヤニヤして気色悪い」
「手以外で、取ってもええ?」
 ああ、そういうこと。
 頬を染め、期待に満ちあふれた目をした暁生を見て合点がいった。っていうか、そもそも口にパイなんかついてるんかいな。
「ええよ」
「え、ええの?」
「うん」
「うわあぁ。ほんまかぁ!」
 さっき一回したくせに、どうしてそんなに感動するのか。
「ええから、はよせー」
 この会話が恥ずかしすぎてさっさと終わらせようと、デレデレ顔の暁生の胸ぐらをつかんで引っぱったら、間近で目が合う。垂れ下がる目の真ん中、自分を見つめる瞳の熱っぽさに、優は求められていると実感した。
 近づいてきた唇と、唇が触れ合う。しっとりした感触を知覚するころには、自然と目が閉じていた。胸がトクトク鳴って、つむった目の周りがじんわり熱を持つ。本当にパイがついていたのか、口の端をぺろりと舌で舐められて首がすくんだ。
「…………っ」
「優」
 唇を離した暁生が愛おしそうに名前を呼ぶ。
「なあ、もうちょっとしてもええ?」
「いちいち聞くな。おまえってちょっと強引さに欠ける」
 好き好き言うばっかりでひとつも手を出してこない。だから本気だと気づかれないのだ。
 照れ隠しに文句を言うと、暁生は犬みたいに濡れた黒目をキラリと輝かせた。
「優は強引なほうが、好きなんやぁ!」
 夜に大声を出す暁生に、し、と人差し指を立てる。寝ているはずの暁生の両親の寝室とは階が違って離れているが、それでも聞こえないかと不安になるような音量だった。
「じゃあぼく、これからはもっと強引な男になるね」
「いや、待て、そういう意味じゃな、く……、って、んっ」
 いらぬ宣言をした口に、再び吸いつかれた。はむはむと下唇を唇で挟まれながら髪を撫でられる。怖くて、恥ずかしくて、気持ちいい。快感に侵された自分の体が、浮き上がってどこかに飛んでいってしまいそうだったから、優は暁生のシャツの胸元にしがみついた。
「ぁ、ふ…………」
 すきまに忍びこんできた舌が、優の舌の先端に触れる。暁生は腕で優の頭を包みこむように固定しながら、つるりとした弾力のある舌で口の中をかき回してくる。
「あ、ぁ……、は……」
 だらしなく顎が落ちる。大きく開いた口の中を、嫌というほどれろれろ舐めつくされた。胸の中にぞわっと冷えた風が吹き抜ける。それは経験したことのない、恐ろしいほどの快感だった。いつも笑顔の爽やかな暁生が、自分に欲情してるのがたまらない。もっと深くまで暴かれたい欲望と、いちばん好きな人にすべてを知られてしまう羞恥が心の中でせめぎ合う。
「あ、あ……、ぁ」
 暁生と言いたいのにカ行がどうしても出てこないので、ほどよく筋肉のついた胸板をこぶしで叩いた。ぷちゅ、と音を立てて唇が離れ、優は目の前にある濡れた唇を見ながら、深く長いため息を吐いた。
「どないしたん?」
 まだキスがしたりない、と訴えかけてくる不満げな顔を、優は力の入らない赤い目でぼんやり見つめながら言う。
「続きも、しよか?」
「つ、つ、続きて、なななな、なに?」
 もう我慢できなかった。恥ずかしくてたまらないのに、身体はもっと暁生と触れ合うことを望んでいた。
「俺、もっとすごいこと、暁生としたい」
 上目づかいで訴えると、目の前の暁生はわかりやすく狼狽えた。顔を真っ赤にして目を泳がせ、優以外誰もいないのに、助けを求めるようにキョロキョロ周りを見まわしている。たぶん今日のところはキスまでで、続きをするつもりはなかったのだろう。強引な男になる宣言をしたといっても暁生のことだからきっと、優の反応を見て、優のためを思って、優が怖がらないよう、ゆっくり段階を踏んでさきに進むつもりだったに違いない。
 自分が切りださないと、今日はしてもらえないと思った。だから羞恥を押し殺して優は、欲望をふたたび言葉にした。
「しようや。…………な?」
「うん。ぼくはもちろん、優としたいけど」
 自分が望めば、暁生は答えてくれる。その言葉に嘘がないことを知った今、優はもうなにも怖くなかった。





狂愛のオオカミ少年(7)R-18

 ベッドに入ったら、暁生はヘラオになった。
「優、痛くない?」
「痛く、ない。って、なにがおかしいねん!」
 指を優のあらぬところに抜き差ししながら、暁生はニコニコ笑っている。
「だってにやけてまう。まさか優のこんなところに指入れられる日がこんな思いがけずやって来るなんて! まだ信じられへん。毎日思い描いてた夢のような出来事が、今、現実に起こってるねんなぁ。何回考えても、やっぱり信じられへんわぁ」
「だまれ、ペラオ」
「なによ、ペラオて~」
 ヘラヘラしながらペラペラ余計なことしゃべりやがって。覆いかぶさる暁生をにらみつけようとするけれど、優の顔は快感に崩れて力がうまく入らない。
「あぁ……っ、や、め……っ」
「優、ここ気持ちいいの?」
 中をかき混ぜる指の腹がある一点に触れると、腰が跳ねる。それを見つけてから、暁生はその快感を呼ぶざらりとした内部を執拗に刺激し続けた。
「はぁ……、ん、んっ、んむっ」
 変な声ばかり出てくるから自分の腕を噛んでいると、暁生が空いてる左手でその腕を口から離させた。
「んっ、うぁ……んっ」
 腕を返せ、と言いたかったはずなのに、口からはやっぱりおかしな言葉しか出てこない。
「んっ、んっ……、も、う、暁生ぉ……」
「いっちゃいそう?」
「う、んっ」
 だからもう、入れてくれ。
 しゃべれないから口で言う代わりに、優は暁生の屹立したペニスに手を伸ばした。
「ちょ、優、あっ、待って」
 暁生が自分の中から指を抜こうとしないから、優もお返しとばかりに、長くて硬いものをゆっくりとしごく。そうすると見つめてくる暁生の顔に、男の色気が浮かび上がる。自分を安心させるほんわかした笑顔も好きだけど、優は初めて見る、ベッドの上での男くさい暁生の顔が気に入っていた。
「んっ、あき、お………っ、これ、入れろ」
「い、入れるから、そんないじったらあかんって」
 出てしまうから、って言ういきそうな顔すらかっこいい、好き。その顔をもっと見たくて調子にのってごしごしこすっていると、こら、とその手をとられた。
「もう入れる、優が悪さするから」
「だからそうせえって、ずっと言うてるやろ」
 ふてくされる暁生にふてくされて返す。
 さっきから何度もいかされそうになっては寸止めされるというのを繰り返されて、さきに限界を訴えていたのは優のほうなのだ。
「なんでおまえがキレてんねん」
「だって優がエッチやから」
「だれがエロやねん」
 くだらない言い合いをしてる途中で、暁生の濡れた先端が、後穴にあてがわれる。
「あ」
 まだ入り口に触れただけなのに、優の身体は一瞬できゅっとこわばって萎縮した。
「大丈夫。ちゃんとほぐしたから」
「わかってる」
「痛くせえへんよ」
「わかってる」
 頭では理解できても、身体が勝手に怯えて硬くなる。
「優、怖い?」
 暁生の優しい声が耳に直接吹きこまれる。きっと入れたくてたまらないはずなのに、怖がる身体を感じ取って、優からペニスを離して優しく髪を撫でてくれる。ここでやっぱり怖いって言ったら、暁生はきっと止めてくれる。今までずっとそうやって、愛の言葉を吹きこまれながら、大事に大事に扱われてきた。
「ええから入れろ」
 色気のない優の誘い文句を聞いて、暁生はふっと笑った。
「ほんまに、ええの?」
 頷くと、鼻の頭にキスが降ってくる。ふたたび、後穴に先端を押しつけられる。自然と硬くなる身体を自分自身でなだめ、今度はできるだけ力を抜いた。
「痛くて我慢できひんかったら、言うんやで?」
 ぬ、と頭の膨れた部分が、内部に忍びこむ。優は笑顔を消した真剣な面持ちで自分を見つめる、暁生の濡れた黒目をじっと見ていた。
「痛くない?」
「いちいち、聞かんでええ」
「うん、ごめんな?」
 みりみりと大きな塊が、内部に侵入してくる。埋めつくされてゆく圧迫感にたえながら、優はにじむ視界をまたたかせ、暁生を見つめ続けた。
「ふ……、ぅ……っ、んっ」
 ゆっくりじっくり、傷つかないよう、柔らんだ内壁を塊が滑ってすき間を埋めてゆく。
「全部、入ったよ?」
 苦しそうで色っぽい、暁生の声。
「ん……」
「痛く―」
 痛くない? と尋ねようとした暁生の口を手で塞ぐ。
「もう、うるさい、んっ」
 もっと好きにしたらいいのだ。暁生のしたいように、動けばいい。苦しいけれど、悪くないなと優は思う。暁生とつながってると心が気持ちいいから、そんなふうに思えるのかもしれない。
「んぁ……、んっ、うご、けよ」
 暁生の後頭部を引き寄せて、唇が触れそうな距離で呟く。
「優、あかんって、ほんまに」
 眉間にしわを寄せた男っぽい暁生の顔を見てると、優の腰は勝手に上下に揺れた。暁生のペニスを締めつける内部が、自分の意思とは関係なく収縮する。
「あ……、はや、く」
 腰をつかんで引っぱると、暁生にこら、と頬をつねられた。
 だって、してくれないのが悪いのだ。
「あんっ、もう、うご、け!」
 また、痛くはないのか、と聞きたそうにした顔を、優は快感にゆがむ顔でなんとかにらみつけようとした。
「あ……、んっ、んっ」
 ゆっくり腰を引いた暁生の先端が、とん、と奥を打つ。またゆっくり抜け出してゆくぬるぬるした感触に目をつむっていると、さっきより少しだけきつく奥を突かれた。しばらくそうやっておだやかに腰を打ちつけていた暁生が、ふいに、胸の尖りを指ではじいた。
「や、め……っ、ぁん……っ」
 ひときわ高い声が喉から漏れて、優は思わず口を手でふさいだ。
「かわいいなぁ、優」
 そう言って指で両方の乳首を挟んでくにくにと弄くりまわしながら、腰の動きを速めてくる。
「ふ、ぅんっ……ぅう……っ」
 声を抑えようと手のひらできつく口をふさいでいると、だんだん呼吸が苦しくなってきて、優はぷは、とその手を離して息をついた。下半身を襲う強い快感と、胸の芯にちりちりと生じる淡い快感が合わさると、怖いくらいに気持ちがよかった。
「あ、あ、あっ、もう……、いってまう、か、ら……っ、あき、お」
 息も絶え絶え伝えると、暁生が苦しそうに微笑んだ形の唇を耳に寄せた。
「ぼくも……っ、いきそう」
 耳に吹きこまれた低くかすれた声に、優は大きく背筋をしならせる。
「あ、あ、あっ」
 ダイナミックに腰を打ちつけられ、襲ってくる快感が強烈さを増す。汗で濡れた肌がぶつかる派手な音が室内に響きわたり、その間隔が徐々に狭まっていく。
「あーっ、ゃん、んっ!」
 あごを上げて晒した首筋を噛まれ、優の口からさらに高い声が漏れる。持ち上げられた自分の足が、ピン、と伸びきって宙を蹴るのが視界の隅に映った瞬間―
「んぁ」
 優が全身を震わせた直後、暁生が中から、ずるる、と這いでてゆく。直後、汗で冷えた太ももに、ぬるい液体が落とされた。
 身体からいっさいの力が抜ける。荒い息をつきながら顔を上げてみると、暁生は射精したばかりだというのに、焦って優の太ももをティッシュでふいていた。
「ごめん、気持ち悪かった?」
 いったいなにが気持ち悪いのだろう。おなかの上には、自分の出した精液が乗っかっている。暁生はそれもついでに拭ってくれた。
「ティッシュに出すつもりやってんけど、気持ちよすぎて優にかけてもうた」
 どうでもいいことを言いながら、情けない顔で笑う暁生が愛おしすぎて、優はたくましい腕を引っぱって仰向けの自分の身体の上に暁生を落とした。
「うわっ」
 胸の上にあるふんわりやわらかな質感の髪を撫でてみる。頭を撫でられることはしょっちゅうだったが、逆は初めてな気がする。
「どないしたん? 優」
 びっくり顔で見上げてくる暁生から目をそらして、優はふん、と笑ってみせた。
「別に顔にかけてくれても、よかったのに」
「ゆ、ゆ、優! そんなこといってはいけません! ほんまにしたくなるから~」
 へなへなと胸の上で崩れ落ちる暁生の髪を、優はいつまでも優しく撫で続けた。





狂愛のオオカミ少年(8)【終】

 翌日、瀬戸一の店内では大事件が起きた。優より遅れてやって来る予定だった早紀が、引き戸をひらくと同時に怒声を上げる。
「おのれ~、さっさと入らんかい!」
「何事や!」
「どないした!」
 あきらかに心配したふうじゃなく、おもしろいことが起こりそうだという好奇心丸出しの声を上げて、常連客が一斉に席を立つ。全開になった扉の外から、早紀に尻を蹴られたスーツ姿の男がよたよたと店内に入ってきた。
「菱川さん!」
 優が声をかけると、菱川はひどく気まずそうに笑って見せた。誰や、と口々に囁かれる声に、姉ちゃんの見合い相手やった人、と優は簡潔に情報を与えた。
「いったいどないしたんですか」
「どないしたもこないしたもないわ」
 優の問いかけに答えたのは怯える菱川でなく、鬼の形相の早紀だった。
「こいつ、うちの家、盗撮しとったんやで」
「盗撮ぅー?!」
 みんなが声をハモらせて、一斉に菱川に注目する。ここ最近めっきり冷えこんできたというのに、菱川は顔中に汗をだらだらかいてハンカチでパタパタはたいている。
「盗撮って、どういうことですか?」
 日常にあってはいけない不穏な単語を耳にして、優は眉をひそめながら菱川をじっと見つめた。
「あのー、そ、それはですねぇ、ええっとぉ」
 汗をふきふき言いよどむ菱川の頭を早紀は遠慮なく一発はたき、続きを継ぐ。
「菱川さん、うちの裏手にあるコーポ高田の空き部屋借りて、窓から優の部屋を盗撮してたらしいんよ。これ、アッキーが手に入れてくれたんやけど、こいつのデジカメ」
 どうやって入手したんやろう。
 優の頭に一瞬そんな疑問が浮かんだが、早紀にデジカメの画像を見せられると、その衝撃の内容にくぎづけになった。
 中身はすべて優の部屋の写真とムービー。お菓子を食べてる優、メールしてる優、着替えてる優。そして優のいない無人の部屋の中の細部。そこには優の趣味であるスポーツ観戦やゾンビ映画のDVDやポスターなども映っていた。やけに話が合うと思っていたが、もしかしたら菱川は優の趣味に合わせて話をしてくれていたのかもしれない。そんなことを考えてデジカメから菱川に視線を移すと、一瞬目が合ってすぐさまそらされる。どうやら優の推測は当たっているようだった。
「なんでこんなこと、したんですか」
 そっと近づいて尋ねると、菱川はがくんと肩を落としてもそもそした声で話しだした。
「実は、私がお見合いで一目惚れしたのは、早紀さんでなく同伴で来られた優さんでして」
「そうやねん。この人、見合い中ずっと優の話ばっか。そんで見合い話はなくなったのに、優が夜中に菱川さんと電話してる声が聞こえてきて、なんかおかしなことになってるんちゃうかって、アッキーに内緒で相談してん」
「そ、それもしかして、喫茶黒バラで?」
「そやけど。なんで優が知ってんの」
 尋ねられ、慌ててなんでもないと首を振る。
 菱川は見合いの当日、何度も早紀に優の携帯番号を尋ねたが教えてもらえなかった。だから仕方なく、早紀が不在のころを見計らって、直接優に会いに宮地家を訪れたのだと言う。どうにか頻繁に連絡を取り合う方法はないかと考えて、自分は早紀に振られて傷心だという話をでっち上げ、なぐさめてもらうことを名目に、菱川は優の携帯番号を聞きだすことに成功した。
「じゃあもしかして、あのときの話は全部、嘘やったんですかっ!?」
 ファミレスでの数分間、優が親身になって聞いていたのは、菱川の迫真の演技によるほら話だったというのか。
「あの話、ってなに?」
 衝撃の事実に放心していると、暁生がちょっと怖い顔で、首をかしげながら尋ねてきた。
「あのな。姉ちゃんが実は見合い話をいやいや引き受けてたっていう話。その理由が、姉ちゃんには家族にも言えん秘密の恋人がおって、見合いはその恋人の存在を隠しとおすために、仕方なしに引き受けてるんやって」
 優が菱川から聞いて、妄想を膨らます引き金となった話だ。説明を終えると、しばしの沈黙の時間が流れた。そして数秒後、緊迫して張りつめていた空気が切り裂かれ、瀬戸一の店内がどっと大きな笑いで揺れた。
「ないないないない! んなわけあるかい!」
「見合いと出会いに命かけてる早紀ちゃんに限って、そんな話はありえへん!」
 手を打ったり、テーブルに突っ伏したり、腹を抱えたり。動作は違えど客はみんな息を吸うひまもないくらいに笑いこけている。
「そんな嘘くさい話信じるやなんて、さすが優、口は悪いけどお人好しすぎるわ!」
 早紀まで一緒になってヒイヒイ笑う。そんな中、ひとりだけクスリとも笑わない男が、ゆっくりと菱川と優のそばに近づいてきた。
「オカベフーズの、菱川文也さんですよね?」
 優の真横で立ち止まった暁生は、笑いに包まれる店内で、菱川に向かって淡々と尋ねた。
「き、君はあのときの―」
「オカベフーズ大阪支店営業部販売促進課に所属三十一歳長野県出身おとめ座AB型三人兄弟の末っ子、の菱川文也さんですよね?」
 菱川の言葉を遮って割りこんだ暁生が息もつかず空でぺらぺらと語り首を傾げた瞬間、ぴたりと店内の笑い声が止んだ。
「そ、そ、そうだ、そうだけど。君がどうしてそんなこと知ってるんだ!」
 額に浮いた汗を拭うこともせず、菱川は叫びながら真正面から暁生を指さした。
「あ。それと、もうひとつ」
 自分に向いている菱川の指を払った右手の人差し指を立てて、暁生はにっこり笑った。
「毎週土曜に美少年専門デートクラブ『少年の館』のオールナイト三万円コースを黒髪色白な自称二十歳のユウヤくんご指名で利用してはる、菱川文也さんですよね?」
 暁生のこの発言で、静まり返っていたうどん屋内がざわつきだす。
「き、君、そそ、そんなことどうやって調べたんだっ! 個人情報を勝手にばらまいて、プライバシーの侵害だ、名誉棄損だ。う、訴えてやるからな!」
「人の家盗撮しといてなに言うてはるんですか。優の人の良さにつけこんで、嘘八百並べて騙しおってからに。なんなら今から一緒に警察行きますか?」
 にっこり笑う暁生の目だけが笑っていない。恐ろしい笑顔で尋ねられて、菱川はヒッ、と肩を震わせた。どこからどう見ても暁生に分があった。警察に行ったところで会社での立場が怪しくなり、盗撮とデートクラブ通いがバレて恥ずかしい思いをするのは菱川なのだ。
「ひとつ、提案なんですけど。もしあなたが金輪際、優に近づけへんって言うんなら、このこと、警察にも会社にも内緒にしといてあげてもいいですよ?」
 自分に分があることを、暁生自身も自覚しているのだろう。表向き、提案という形を示していたが、その言葉の裏には脅迫というメッセージがこめられていた。菱川が自分の身を守るためには出す答えは、ひとつしか用意されていない。さっきの強気な態度から一変、菱川は首を垂れて情けない声を出した。
「もうしない、しないから。優くんには今後いっさい近づかないから、か、勘弁してくれ」
「それで、ええんです」
 よくできました、とばかりにうなずく暁生は嬉しそうだ。優はそんな二人のやりとりを隣から見ていて寒気をもよおした。
 暁生は菱川の情報入手のために、いったいどんな手を使ったのか。
 早紀は暁生がデジカメを手に入れてくれたと言っていた。その中身の画像に気をとられて忘れていたが、いったい暁生はどうやって菱川の私物を入手したのか。昨日だって映画館付近で偶然会ったことに驚いてその不自然さに気づかなかったが、暁生は優と菱川が映画を観たことも、どの映画を観たのかも知っていた。暁生は菱川の行動をくまなくチェックしていたのかもしれない。
 暁生が優に隠していたことは早紀との交際などでなく、優に隠れて菱川のすべてを暴きだす計画だったのだ。菱川は危険だと優に教えたところで信じてもらえないと思ったのだろう。なんせ、毎日暁生から送られる愛のメッセージをことごとく信じず、冗談だと切り捨ててきたのだから。だけどいったいどんな手を使ったのだろうか。想像して震える優の隣で、当の暁生は自分がしでかしたであろうことは棚に上げて菱川に笑顔で詰め寄っていた。この自信に満ちあふれた態度はなんなのだ。普段の暁生を知らない菱川は、目の前の得体の知れない男に完全に怯えきっている。
「もう絶対、優に近づけへんと思いますけど、もし隠れてこそこそなんかしたときはまた、いろいろ楽しみにしといてくださいね」
「ヒィイーッ」
 菱川は奇声を上げ、自分の足につまずきそうになりながら瀬戸一の店内から逃げだした。静かになった店内で、暁生は扉の外からゆっくりと優に視線を移した。
「話のわかる人で、よかったわぁ。でも優、これからも気をつけなあかんで。世の中にはコワイ人がいっぱいおるからね。優はかわいいんやから、すぐに狙われてしまう」
 おまえは自分が思ってる以上にかわいらしいんやから。
 そういえば見合いの帰りに偶然暁生に会ったとき、そんなことを言われた気がする。あのとき暁生が不機嫌だったのは早紀の見合い話を聞いたからだと思っていたが、どうやらそうでなく、優が菱川に狙われていることを短い会話の情報で察知したからだったらしい。
 ぽん、と肩を叩かれて、優はびくりと全身を震わせた。暁生はそんな優の震える肩をそっと撫でてから、笑顔を崩さぬまま厨房へと戻っていった。
 暁生は菱川を解体し、すべてを晒してぼろぼろにしてしまった。好きな男に寄りつく虫を徹底的に排除するという、恐ろしい精神でもって。その行動の異常さが時間差でじんわり頭に理解をもたらす。優の体は風邪でもないのにぞくぞく悪寒に包まれていた。ここまで愛されておいてどうして暁生の愛を疑うことができたのだろう。何度も繰り返される暁生の告白を嘘だと決めつけていた過去の自分が、優はとんでもなく間抜けに思えた。
 呆然と事を見守っていた常連客たちが、微妙な半笑いを浮かべながら、まばらな拍手を優に送った。
「よ、よかったなぁ、優。大ごとにならんで」
「ほんま、や。盗撮とか怖いし。おかしなことに巻きこまれんで済んでよかった、よな?」
 みんなが顔を見合わせながら、これでよかったのだという空気を無理やり作りだす。ここにいる誰もが、盗撮犯の菱川より暁生の変貌ぶりと狂気じみた優への愛に怯えていた。そして、今まで冗談でホモだとからかっていた二人が、どうやら本物らしいということを知って、ドン引きしていた。
「優、ご愁傷様」
 ぼそっと誰かが呟く。その言葉を聞いた全員が優に哀れみの視線を送った。きっとみんな、こう言いたいんだろう。えらいもんに好かれたな、と。
 世の中にはコワイ人がいっぱいおる。毎週のように甘い菓子を届けて餌付けしようとしたり、想い人に近づく不審者の個人情報を徹底的に調べ上げて脅したり。優はそんなコワイ人に狙われやすいらしい。暁生の言葉は当たっている。
 ふと視線を感じて、優は振り返った。厨房の入口から店内の様子をうかがう、暁生の父と母と目が合う。二人はきっと初めから、すべてをわかっていたのだろう。優に向けて申し訳なさそうな視線を送っていた。
 親をも困らせる、暁生の一直線の狂愛。それは未来永劫、自分ひとりに注がれる。あいつを敵に回したらおしまいだ。浮気なんてした日にはえらい目に合う。命が尽きるまで暁生からは離れられない。
 そんなことを想像しながら吐く優のため息は、どこかほわりと甘く、幸せに満ちていた。





プロフィール

りんこそ

Author:りんこそ
宗川倫子(そうかわりんこ)
BL小説投稿生活中。ブログ内の文章の転載を禁じます。

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