ハナからはじめる恋のお話(1)

「殺してほしい人がいるの」
 レア・ステーキの中央にフォークを突き刺して、ハナは静かにそう言った。
 四人掛けのテーブルに向かい合って座る。両親が不在の二人きりの食卓。梅雨入りが発表されたばかりで、窓の外はどしゃぶりの雨だった。中まで火の通ったステーキを小さくカットして口に運んでいたはじめは、双子の妹からの衝撃の一言に、口に入れた肉の塊を噛まずに飲みこんでしまった。
「こ、ころ……、ころ……」
 動転してるのと、その不穏な響きをもつ単語を口に出すことのためらいで舌がもつれる。ハナが突き刺したフォークと肉の隙間から、赤い透明の液体がじんわり滲み出てくるのを見て、はじめは涙目になりながら椅子から立ち上がった。
「こ、殺すとか、物騒なこと言わないよ! ぼくたちは将来、人の命を救う人間になるんでしょう?」
 必死な顔で訴えるはじめをじっと見上げていたハナは、わかっているわよ、と言ってニッと笑い、何事もなかったように食事を再開した。今のはどうやらハナの冗談だったようだ。だとしても、二人の十九歳の誕生日を祝うおめでたい食卓で放つには、その冗談は過激すぎた。はじめは立ち上がるときに倒れた椅子をおこしてふたたび座り、まだドキドキが止まらない左胸を手のひらでさすりながら、血の滴る肉を豪快に口に運ぶ美人の妹を見た。
 ハナとはじめは双子なのに、見た目も性格も似ていない。それは自他ともに認める事実だった。二卵性双生児だから顔が似ていないのはしょうがない。でも小さいころから両親が不在がちで二人で過ごす時間が長かったにも関わらず、性格のほうも極端に違っていた。
 妹のハナは活発で明るく、早口で頭の回転も速い。その竹を割ったような勝気な性格は見た目にも反映されて、目鼻立ちのはっきりした典型的な美人だった。
 一方、兄のはじめのほうはおっとりしていて反応が鈍い。勉強も運動もハナほどできず、真面目なことだけが取り柄のおもしろみにかける性格をしている。顔にも妹のような華やかさがなく、丸い目は量の多いまつ毛にふちどられて輪郭がぼんやりしているし、八の字に下がった眉を隠す黒髪も、ずっしり重く暗い印象を与える。
 二人のことを昔から知る人も初めて知る人も、みな口をそろえて言う。
 双子なのに正反対だね、と。
 はじめが紅茶を入れているあいだに、ハナはデコレーションケーキにロウソクを挿して勝手に吹き消していた。ケーキに乗った六つの苺を全部自分の皿に移し、紅茶を運んできたはじめに、もらうね、と事後報告する。
 はじめはそんなハナに呆れも怒りもしない。いつも大胆不敵なハナの行動に、純粋に憧れを抱くだけ。自分に無いものをすべて持っているハナを羨ましいと思うけれど、とうていはじめには真似できそうにない。
「殺す、というのは言いすぎたけど」
 冗談で終わったはずの恐ろしい話題を蒸し返されて、はじめはケーキを口に運んだフォークを前歯で噛みしめた。
「ぎゃふんと言わせてやりたいの」
「ぎゃふん……」
 話の筋が見えずにぼんやり言葉を復唱するはじめの前で、ハナが苺にフォークを突き立て忌々しげに呟く。
「あの男、私のことを振ったのよ」
 信じられる? と同意を求められて、はじめは首を横に振った。ハナは振られたことがないのだ。でもこれだけ美しいのだから、それは当然のことだと双子は思っていた。
「相手はいったい誰なの?」
 変わった人がいるものだ。はじめは心底不思議がって尋ねた。
「成瀬千明よ」
「成瀬、先生……」
 ハナの口からその名前が出てきたとき、はじめの胸がドクン、と音を立てた。
 小さいころからハナとはじめは、尊敬する両親と同じ職に就く、外科医になることを目指していた。成績も上々で順調に年を重ねていた二人は、高校三年生の冬に小さな挫折を味わった。
 両親が卒業した地元の私立大学医学部へ、二人そろっての現役合格に不備はないはずだった。だが本番の試験前日、ハナが風邪をこじらせて高熱を出した。そして両親不在の中、彼女を看病したはじめも朝方に倒れてしまった。二人してほとんど眠らないまま、市販の薬を飲んで這って家を出ようとしたところ当直から帰ってきた母親に止められ、受験することなくまとめて不合格となってしまった。試験に慣れておくため受験した、他のいくつかの大学はすべて合格した。でも二人には他じゃ意味がなかった。
 成瀬千明は、不運にも浪人生になってしまったハナとはじめが通う予備校で、二人の選択する私立医大コースの英語を教えていた。すらりとスタイルがよく、テレビや雑誌に出てくる人みたいに垢抜けている。似たり寄ったりのスーツを着た予備校講師の中で、成瀬はひとり浮いていた。長身の体にぴったり合ったオシャレなスーツを身にまとっていて、いつもどこかに一か所、遊び心を入れている。たとえばそれは、先の尖った革靴だったり、文字盤からベルトまで黄色一色の腕時計だったり、ペンギン柄のネクタイだったり。そのお茶目な一面は規律を守ることへの小さな反抗みたいで、学生の感覚のまま講師をやっているような親近感があった。勉強を教えるためだけに存在しているような講師陣の中で、成瀬だけはちゃんと自分を主張して生きている、生身の人間に見えた。
 はじめの目に、成瀬はきらきらと輝いて映っていた。そして、そんな魅力的な成瀬は、ハナにとっても特別な存在だったのだ。
「じゃ、頼んだわよ」
「な、なに、なにが?」
 ぼんやり成瀬のことを考えてるあいだに頼みごとをされていたらしく、はじめは焦って問い返した。
「だから、殺すは言いすぎたけど、ぎゃふんと言わせてやりたいのよ。私を振った仕返しをするの。はじめ、私のためにあいつの弱みを探ってきてちょうだい」
 命令を下すと、はじめの反応も見ずに冷めた紅茶を飲み干し、ハナはリビングを出ていった。
「弱み、ってなんだろう」
 どうやって、探るんだろう。
 外から窓を叩く雨音をじっと聞きながら、はじめは与えられた指令をうまく把握できず、苺のえぐり取られたデコレーションケーキをぼんやりと見つめていた。






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ハナからはじめる恋のお話(2)

 ネオンがきらめく繁華街の裏通り、会員制とだけ書かれた重そうな黒い木製の扉に手のひらを当てて呟く。
「なんの店だろう」
 週末の二連休を前にした金曜の夜。予備校の授業が終わると、友達と食事をして帰るハナと別れ、はじめは成瀬のあとをつけてこの場所にたどり着いた。
 ハナから下された『成瀬先生の弱みを探る』という指令を実行しようと思っていたのだが、弱みとはどう探るものなのかわからないまま誕生日から五日が過ぎていた。会話をしないと情報が引きだせないことだけはわかっていたが、なにを話せばいいのかわからないので声をかけることができず、ぐるぐる考え事をしながら成瀬をストーカーのように追いかけてきてしまった。見失わないよう成瀬以外のものを見ていなかったため、電車を乗り継ぎ、夢中で歩いてやってきたこの場所がいったいどこなのかもわからない。扉に会員制と書かれているのだから、会員でないはじめが中に入ったら怒られるかもしれない。でも帰り道もわからず、見知らぬ街に心もとなさを感じていたはじめには、目の前の扉を開く以外の選択肢はなかった。
 勇気を振りしぼってノブに手をかける。そっとひらくと、外観の重々しさに反して店内は明るく、思ったよりにぎわっていた。看板は出ていないがどうやらここはバーのようだ。
「いらっしゃい」
 派手な化粧をしているマスターに声をかけられて、はじめは唇を引きつらせた。
 なんだろう、このお店。
 真面目そうなサラリーマンから、派手なパジャマみたいな服を着た若者まで、店内は雑多な人種であふれていた。それに、化粧をしている人もいるが、客も店員も全員男性だ。
 入口に突っ立っているのも不審な気がして、はじめはおそるおそるカウンターに近づいた。
「君、未成年じゃないの」
 マスターに尋ねられて、はじめは首を横にぶんぶん振った。会員でない上に成人もしてないとばれたら、店から放り出されると思ったのだ。
「いいじゃん、かたいこと言わないの。カワイイねー、あんた。名前なんていうの?」
「あ。ま、円はじめです。よろしくお願いします」
 隣にやってきた派手なパジャマ男に、はじめは真面目に答えて頭を下げた。
「カワイー、はじめちゃんって言うんだ。来て早々なんだけど、お兄さんとお店の外でお話しない?」
 首にぎゅっと腕が回され、頬と頬がぶつかりそうな至近距離で尋ねられる。
「い、いえ。ぼくは先生と、話をしなくちゃいけないから」
 先生って誰だ、と二人の話を聞いていたカウンター周囲がざわつき始める。はじめは人を巻きこんでしまっていることにオドオドしつつも、自分で口に出した成瀬に話さなければならない内容、というのがまだ定まっていないことに焦りを感じていた。とにかく拘束を解こうと体をよじってみても、酒くさい息を吐くパジャマ男から逃れられない。涙目になっていると、奥のテーブル席から驚いた顔でカウンターでのやりとりを見ている成瀬と目が合った。
「なにやってんの? 君」
 近づいてきてパジャマ男の腕を解放させると、成瀬は眉をひそめて正面からはじめをじっと見つめた。
「あ、あの、あ…………」
 なにをやっているのだろう。成瀬と対面して、あらためてそう思った。
「とにかく出ようぜ」
 背中をぽんと押され出口へと促される。
「待ってよ、おれがさきに声かけたんだぞ」
 酔っぱらったパジャマ男が成瀬のジャケットの裾を引っ張る。
「コージ、悪いけどこいつの相手してやって」
「はあぁー? なんでだよー。ていうか、あんたから呼びだしといて、オレほったらかしかよー」
 成瀬にコージと呼ばれた、スリムで筋肉質な男の悲愴な叫びに、バー内が明るい笑いで包まれる。文句を言いながらも、彼はパジャマ男の手を引いてソファーに座らせていた。
 成瀬はここで彼と待ち合わせをしていたようだった。二人の邪魔をしてしまった申し訳なさから、はじめは扉の前で振り返り頭を下げた。顔を上げると、コージからは嫌味のないさわやかな笑みが返ってきた。

「あ、あの、ここがどこか教えてくれれば、ぼくはひとりで帰れますから」
 店を出てすぐそう訴えてみたが、成瀬はいいからいいから、とはじめの腕をつかんで歩きだした。
「でも、あの人と約束をしていたんじゃ……」
「今度埋め合わせするから」
 軽い調子で言いながら成瀬は迷いなく歩を進める。たどり着いた先は繁華街の外れにある小さな純喫茶だった。カラン、と音の鳴る扉を開けると、時間帯が遅いせいか店内には客の姿がなかった。
「カプチーノ二つね」
 成瀬は白髪の年老いたマスターに注文してテーブル席に着く。木の温かみのある店内を見回して、はじめもためらいながら成瀬の向かいに座った。
「あ、あの」
「飲めるか? カプチーノ」
 うなずくと成瀬はふっと息をこぼすように笑ってから、煙草に火を点けた。その大人っぽい仕草に思わず見惚れてしまう。授業の中では絶対見られない成瀬の姿を目にして、はじめは胸をドキドキさせた。
「もしかして、予備校帰りの俺をつけてきたのか?」
「あ、う、あの……、は、い」
「うわぁ、悪趣味」
 自分でもなんてバカなことをしてるんだろうと思っていたところなので、はじめは素直にごめんなさい、と謝った。
「妹の仇を打ちにきたとか?」
「いや、あ、あの、そういう……」
 仕返しをするというハナのために成瀬の弱みを探ろうとしていたのは事実なので、仇打ちかと聞かれてはっきりと否定はできない。かといって具体的になにをしようとしてつけてきたのかもわからなかったのでうまく説明できず、はじめはしどろもどろになって、結局ハナの言葉通り伝えてしまった。
「ぎゃふんと言わせに、来、ました」
 なに言ってるんだろう。自分がわからないのだから成瀬にはもっとわけがわからないはずだ。取り消さなきゃと焦っていると、目の前の成瀬がぷっと噴きだす。頑丈そうな木のテーブルをパシパシ叩いてはじけるように笑う。授業の際にも、人間だから多少笑ったり呆れたりいろいろな表情を見せるが、ここまで本格的に笑っている成瀬は見たことがない。ナチュラルな振る舞いや煙草を吸う行為に、プライベートの共有を許されている気がして、はじめはなんだか胸がくすぐったくなった。
「妹に頼まれたんだ?」
 問いかけられた事実に素直にうなずいた。双子を知る人たちから、はじめはハナの言いなりだとよく言われてきたから、成瀬からも同じ言葉を告げられると少しだけ身構えた。
「いい兄ちゃんだな」
「え……?」
「妹思いじゃん。家族愛っていうの?」
 俺好きだな、と言って、成瀬は唐突に立ち上がった。カウンターを出ようとしていたマスターの手からトレーを受けとって自分で運んでくる。カウンター内に目をやると、マスターが足を引きずって歩くのが見えた。
「どうぞ、召し上がれ。俺が作ったわけじゃないけど」
 カップを手渡されて、はじめはきらきらした目で成瀬を見上げた。優しい人だと思った。そして、優しさを行動に移すことを躊躇しない、大人の男性だとも感じた。
「俺が妹を振った理由、わかっただろ?」
 ほのかにキャラメルの風味がするカプチーノをゆっくりすすりつつ、はじめは首を傾げた。
「俺ゲイだから、女の人は恋愛対象になんないの」
「ほわ?」
 カップに口をつけたまま発したはじめの驚きの声は、湯気にこもっておかしな音になった。
 わかってなかったのか、と呆れて見せてから、成瀬はさっきのバーがゲイの人たちばかりが集まる店なのだと説明した。これはハナの言う成瀬の弱みなのかもしれない。それにこのことをハナに伝えたら、自分が振られた理由が自分の非じゃないことを知ってきっと喜ぶだろうと思った。大好きなハナが喜ぶ顔を見たい。そう思ったけれど、はじめは、このことを自分だけの秘密にすることにした。
「似てないな、妹と」
 ハナのことを考えていたら、唐突に成瀬が言った。
「彼女は気が強そうだけど、君はおっとりしてる」
 二人を評価する人はいつもハナを誉めてはじめをけなした。だけど成瀬は単純に二人の特徴を述べるに留めて、包みこむような優しい目ではじめを見つめてくる。目をそらす気配のない成瀬の視線にとらわれ続けていると、胸の奥がさわさわしだして、たまらなく恥ずかしくなってくる。
「顔、むちゃくちゃ赤いんだけど」
 笑いを含んだ目をした成瀬に指摘され、さらに赤みが増していく。鏡を見なくても今自分がどうなっているのかはじめにはわかっていた。肌が白いため普段から頬が赤くなりやすいが、恥ずかしいときや緊張したときは、茹でたたこみたいに顔から首まで真っ赤に染まってしまう。
「せ、赤面症なんです。あ、あと吃音も、あって」
 成瀬につられたのか、はじめも自分の秘密を明かしていた。はじめのほうの秘密は長く付き合えばわかることだったが、ほとんど個人的な付き合いのない今、このことを話しても成瀬は自分のことをバカにしないような気がした。
「吃音というか、妹に合わせて速くしゃべろうとするから、つっかかるんじゃない?」
「へ?」
 自覚のないことを指摘されて、はじめは目を見開いた。成瀬の分析によると、はじめは話し始めが速くてだんだんゆっくりになっていく、ということだった。それが癖になっているのかもしれないと教えてくれる。
「一呼吸おいてから話し始めるように意識すれば、簡単に治りそうだけど。妹に合わそうとしなくていいじゃん。双子って言っても違う人間なんだし」
「そ、そうなのかな……」
「そうそう」
「そ……っかぁ」
 はじめの心は長年の憑き物が落ちたようにほわんと軽やかになった。はじめはハナが大好きだったけど、自分が彼女のようになれないこともわかっていた。双子なのに彼女に似ていないことで、いつも周りからはがっかりされ続けてきた。成瀬はそんながっかりな自分を許して、認めてくれたような気がした。合わさなくていいんだって、そのままでいいんだって。
「ごちそうさまでした」
 帰り道のわからないはじめを、成瀬は地下鉄の駅まで送ってくれた。
「どういたしまして。妹にさ、恋もいいけど勉強もしっかりしろって言っといて」
 成瀬は軽口をたたいてバイバイ、と手を振った。それは生徒に対する態度とは思えない、プライベートでナチュラルな仕草だった。






ハナからはじめる恋のお話(3)

 成瀬はすごく自然体な人だ。
 今までそのことをぼんやりとしか認識していなかったけれど、はじめは成瀬と二人きりで会話することで、あらためてそのことを意識した。
 初めての授業のとき、どの講師も『必ず受からせてやる』とか『努力は報われる』とか熱い言葉を生徒にかけていたのに、成瀬だけは『やる気のない人は来ないほうがいいと思う』と言った。シーンと教室内が静まり返るのも気にとめず、彼は初日から淡々と授業をこなしたのを今でもはっきり覚えている。その言葉は生徒を奮起させるための挑発的な表現なんかじゃなく、成瀬の本心だったんじゃないかと思う。スーツに合うオシャレを楽しんだり、小テストの最中に口笛を吹いて生徒にうるさいと怒られたり、気さくで気負いがないから生徒との距離も近い。そんな自由奔放な成瀬をよく思わない講師もいるようだったが、それでも彼が表立って非難されないのは、成瀬の英語の授業が丁寧で非常にわかりやすいと評判だからだろう。洗練された見た目と気さくな性格で明解な授業をする講師が、モテないわけがない。ハナ以外にも成瀬に夢中になっている女の子は予備校内にたくさんいた。
 そんな人気者の成瀬の黒い噂を、はじめは今日初めて耳にした。それは、昔高校の教師をしていた彼が、生徒に手を出して学校を辞めさせられた、というものだった。
「ほんとっぽいよね、だって成瀬先生って軽そうじゃん。うちらにも超フレンドリーだしさ。この中の誰かといつか恋に発展したりして」
 ありうるよね、とはしゃぐ前の席の女の子たちの会話は、聞きたくなくても耳に入ってきた。そっと隣を見やると、ハナはじっと前を見すえて座っている。会話は聞こえているはずだけど、なんの反応も示さない。ハナは噂話や陰口の類が嫌いなのだ。振られたから弱みを探れ、なんて理不尽な命令を下してみたりもするが、基本的にハナは正義の人だった。自分の妹を誇らしげに思いつつ、はじめは立ち上がってハナに手を差しだした。
「帰ろ?」
 うなずいた彼女の手をとって教室を出たところで、廊下の先から声をかけられた。
「よう、ハナはじめ」
 さきほどの黒い噂の人物だった。今日は、魚の形をしたネクタイピンをつけている。
「模試の結果、二人ともよかったみたいだな」
「当たり前です」
 ほめてくれた成瀬に礼を言おうとはじめが口を開ききるあいだに、ハナはその一言を返していた。
「当たり前なのかよ、余裕かまして気抜いてると痛い目あうぞ」
「気なんて抜きません。私たちは毎日予習と復習をかかしませんから」
 ハナは振られたことなど微塵も感じさせない強気な態度で成瀬と向き合う。
「立派だな。感心するわ」
 パチパチ瞬きをしながら、成瀬はハナとはじめを交互に見た。このセリフも他の人が言ったら嫌味に聞こえただろうが、自然体の成瀬が言うと彼の本心に聞こえる。
「じゃあなんで現役で合格しなかったんだ?」
 自然体ゆえか成瀬は言葉も選ばなかった。悪気はないのだろうが、ハナの弱みを針の先端で突き刺すようなその発言に、はじめは隣の小さな肩が微かに揺れるのを感じて、ズキンと胸が痛んだ。
「風邪で、受験できなかったんです」
 なるだけ暗い雰囲気にならないよう、はじめがつとめて明るい声を出すと、そうなんだ、と成瀬も何事もないように返した。
「受験さえできていれば、二人とも受かりました」
 うつむけた顔をゆっくり上げてハナは言う。
「清々しいほどの自信家だな」
「ここに通わなくても次は受かりますけれど、暇だから時間をつぶすために通っているんです」
「親にお金出してもらってる身で、そんなこと言ってると罰当たるぞ」
「うちは湯水のように使ってもまだ寄付する余裕があるくらいお金持ちなのでご心配なく。将来外科医になって、父と母には投資してもらった何倍もの幸せを与えるつもりですから」
「そこまで言いきると、もうなんか一周まわってかっこいいな」
 成瀬とハナの早口で交わされる会話にはじめはひとりついていけず、テニスの審判のように目をきょろきょろ移動させて、その楽しそうなやりとりを呆然と見ていることしかできなかった。ハナは女性だから成瀬に振られてしまったけれど、もし二人が同性ならばうまくいくような気がする。
「仲良しで、いいな」
 ぽつりと呟いた言葉を聞いた二人は、なぜか呆れたような表情になった。
 自分がハナのように頭の回転が速くてスラスラしゃべることができたら、成瀬とこんなふうにラリーのような会話をしてみたいと思う。はじめはいつもハナに憧れていたけれど、それはハナのことが純粋に大好きで、そんな彼女と対等になりたかったからだ。誰かと会話するハナを羨んでこんな嫉妬のような感情を抱くのは初めてのことで、不思議な感覚に包まれながらはじめは少しだけ戸惑っていた。
「先生、これから帰られるんですか?」
 自分の心のもやもやに頭を悩ませていたはじめは、ハナの一言でハッと現実に戻された。
「おー、飯食って帰るわ」
「おひとりなら、はじめも連れていってください」
 ぽん、と肩を叩かれて数秒後、はじめはハナの言った内容を把握して焦った。
「な、なに言って、なに言っ……!」
「弱みを探ってくるのよ」
 成瀬に聞こえないようはじめに耳打ちして、ハナはごきげんよう、と手を振って去っていった。
「あ、の……、ぼくも帰ります」
 急速に赤く染まった頬を両手で隠して、はじめはカクカクした動きで回れ右をした。一歩目を踏みだしかけたとき、頭のてっぺんに成瀬の冷たい手のひらが乗せられる。
「はじめ、カレー好き?」
 さらりと下の名前で呼ばれた。驚いて赤い顔で振り返るはじめの動揺を知ってか知らずか、成瀬は口角を上げた楽しそうな表情で、ん? と小首を傾げ、答えを催促してくる。カレーは自分でも時々作るくらい好きなので素直にうなずくと、決まり、と成瀬は指を鳴らした。
「下で待ってて。荷物取ってきてすぐ行く」
 はじめの髪をくしゃっとなぜてから、成瀬は軽いステップで階段を降りていった。

「あの、いいんでしょうか。先生がぼくなんかと、ごはん……」
 はじめは成瀬の車の助手席にひっそりと収まり、シートベルトを両手でギュッと握りしめていた。
 この前迷惑をかけたばかりなのに、今度はハナが無理やり約束を取りつけてしまって成瀬は困っているはずだ。それに予備校講師と一生徒が個人的に食事をすること自体、いけないことなのではないだろうか。そんなことを考えながらひとりビクビクしていたのだけど―
「いいんじゃない?」
 いいらしい。
 成瀬は軽い調子で言って駐車場に車を止め、外に出た。
「おいで」
 振り返って手招きされ、はじめも急いで車から降りると『ネパール料理』と書かれた看板の店に入っていった成瀬のあとを追った。
 薄暗い店内に一歩足を踏みいれると、食欲を刺激するスパイスの香りが漂ってきた。ヘビが出てきそうなエキゾチックな音楽が流れる店内は、ほぼ満員の客でにぎわっている。テーブル席に案内され、成瀬が注文を済ませてしばらくすると民族衣装を着た店員が次々と料理を運んでくる。耐熱ガラス越しに見える厨房の大きな窯の内側にくっついていた草履のような形をしたパンは、大きすぎて皿からはみ出していた。
「なんですか、これ」
「ナンです」
 答えた店員と困ったような表情で見つめ合うはじめを見て、成瀬が思いきり噴きだす。このパンの名前がナンというのだと教えてもらい、納得して両手を合わせた。海老の入ったオレンジ色のカレーは、食べるとレモンの爽やかな味が口の中に広がる。成瀬の真似をして、白ゴマがたっぷり入ったナンにカレーをつけて食べると、その組み合わせの妙に思わず、んー、と唸って、はじめは落ちそうなほっぺたを両手で押さえた。
 社交的なハナと違って、はじめは家族以外とほとんど外食をしない。お手伝いさんが作ってくれる料理か、彼女に教えてもらって作る自分の料理以外、普段あまり口にすることがなかった。香辛料で口の中が辛くなってきたころ、ラッシーという飲み物が運ばれてきた。マンゴーが香るサラッとしたヨーグルト風味の飲み物は、ヒリヒリした喉をまったりすべり落ちていく。
「おいしい……、毎日食べたいです」
 感動が大きすぎて、はじめはそれを伝えずにいられなかった。
「じゃあ、毎日来ようか?」
 成瀬の言葉に反射的にうなずいてしまう。その反応を見て手を叩いて笑う成瀬に、はじめは真っ赤になりながら前言撤回した。
 お腹が満たされ、食後のチャイが運ばれてくるころには、車の中で感じていた不安や緊張はすっかり消え失せていた。座り心地のいい椅子に沈んだ体を立て直し、成瀬に尋ねる。
「先生って、昔は高校で教えてたんですか?」
「そうだよ、誰かに聞いた?」
「今日、噂を耳にしました。生徒に手を出して、辞めさせられたって」
 女の子たちが話していた会話を思いだし、はじめは聞いたままを装飾せず、慎重に伝えた。安易な好奇心で真相が知りたかったわけじゃなかった。ただ自分の意図せぬところで耳にした信憑性のない情報を、真実を知る成瀬にちゃんと伝えておきたかった。
「あー、俺も聞いたことある、その噂」
 まるで他人事のようにそう言って、成瀬は煙草に火を点けた。
「でも残念ながら、俺が勤めてたのは女子高なんだな。だから手を出そうにも出しようがない」
 はじめから目をそらして、成瀬はふっと自虐的に笑った。ゲイだという成瀬が女子生徒に手を出すとは考えにくい。今日聞いたあの噂はどうやら嘘のようだ。これですっきりするはずなのに、はじめの心のもやもやは晴れなかった。
「じゃあどうして辞めちゃったんですか?」
「なんとなく、かな」
 まっすぐ見つめるはじめの視線から目をそらしてチャイを一口飲み、煙草を深く吸いこむ。なんてことない動作だったけど、そこにはちょっとした拒絶みたいなものが見えて、はじめは成瀬が答えを濁したのだと思った。知りたい欲求が満たされないことで心のもやもやは広がっていく。本当の理由はわからないが、二年前、高校教師を退職した成瀬はこの予備校講師のアルバイトを始めた。非常勤講師は比較的休みの融通が利き、自由度が高いところが気に入っているのだと言う。
「噂は撤回しないんですか?」
 はじめは心のもやもやを成瀬にぶつけた。成瀬は自分の噂を耳にしながらも放置している。真実でないのなら訂正するべきだと思った。成瀬の授業はいつも丁寧でわかりやすかった。やる気のない人は受けないほうがいいなんて言いながら、生徒の興味を引くための細工が随所に見られる。授業を受けた人間なら誰でも気づく、成瀬は教えるのが好きな人だ。こんなくだらないことで成瀬の評判が落ちたりしたら悲しくてやりきれない。
「噂ってのはさ、否定することで余計怪しさが増すんだよ。言いたいやつには言わせときゃいいじゃん。たいしたことじゃないしさ」
 たいしたことじゃ、ない。
 はじめは口の中だけで小さく呟いた。
「俺はゲイで、結婚する気ないし、自分ひとりが今食えればいいわけ。守るものもないしね。人間なんていつ死ぬかわかんないじゃん」
 先を見据えない刹那的な考え方は、成瀬の自由な振る舞いにぴったり当てはまっているように見えた。でも生徒に言ってしまうにはあけっぴろげすぎる自暴自棄な発言が、はじめの気持ちをズドンと暗くさせた。
「なんではじめが、そんな顔するんだよ」
 困ったように笑う成瀬の手が目の前に伸びてくる。冷たい指が頬に触れて、自分の顔に血が上っていることに気づいた。噛みしめていた下唇を解放すると、空気に触れた瞬間じんわり鈍い痛みが広がった。噂を耳にしたときの腹立ちよりも、成瀬が成瀬自身を卑下してどうでもいいもののように扱うことのほうがはじめには堪えられなかった。
「楽しい話、しようぜ?」
 成瀬に前髪をゆるくはたかれて、はじめはそろそろと頷いた。せっかくおいしい料理を食べさせてもらったのに、ひとり機嫌を損ねている自分の子供っぽさを反省する。落ち着こうとぬるくなったチャイをゆっくり喉の奥に流しこんで、目の表面に溜まった水分を手の甲でごしごし拭った。
 それからはガラにもなく、はじめはペラペラと自分のことをしゃべった。困った顔をさせてしまった成瀬を笑わせようと、自分の少ない引き出しからありったけのエピソードを引っ張りだした。忙しく留守がちな医者の両親とは、メールでなく交換日記をしていること。出来のいい双子の妹とは顔も性格も似てないが、とても仲がいいこと。交友関係の狭いはじめの話はほとんど家族の内容だったけれど、成瀬は身振り手振りで懸命に話すはじめの話を、相づちを打ちながら楽しそうに聞いてくれた。
「いい子だな、はじめは」
 話が途切れたとき、成瀬ははじめの髪を撫でて言った。その心地よさにまったりと深くまばたきをしながら問う。
「僕の、どこがいい子ですか?」
「自覚ないか。君ってちょっと信じられないくらい純粋なのに、決して鈍感じゃないんだよな。俺の心の機微を読みとって、優しい気づかいなんかしてしまうところが好ましいなって思った。いい子いい子」
 さっきより乱雑に髪をわしゃわしゃ撫でられる。家族以外ではじめのことをいい子だとほめてくれたのは成瀬が初めてだった。だけどそれはどこか子ども扱いのような気がして、贅沢にもなんだか不満に感じてしまった。
 店を出て車に乗りこんでも、はじめのおしゃべりは止まらなかった。普段は家族内でも聞き役で、誰かに自分のことをこんなにたくさん話すことはめったにない。口下手なはじめが緊張せずに話し続けられたのは、成瀬が焦らすことをせず、上手に話を引きだしてくれたからだ。
 静かな住宅街に車がゆっくり滑りこんで停止する。ヘッドライトを浴びた野良猫が、光に驚いて一目散に逃げていくのを見て二人で笑った。家の前まで送ってもらったのだから、お礼を言って車から出なければいけない。おしゃべりも十分したし、ほかにすることなんてないのだから。だけど、はじめはどうしても成瀬の隣から離れるのが嫌だった。
「先生」
「ん?」
 隣を見ると、軽く眉を上げた成瀬と目が合う。その柔らかな表情に吸いこまれるように、はじめはぽろっと言葉を吐きだした。
「ぼくは、外科医に向いてますか?」
 成瀬にわかるはずのないことだった。自分自身で答えを出すべきことだともわかっている。でもそれは両親やハナにも相談できず、ずっとひとりきりで背負ってきたことだった。
 尊敬する両親のような医者になりたい。そう思う気持ちに嘘はなかった。でもおっとりと反応が鈍く、緊張で赤面するような自分が、緊急の手術など咄嗟の判断が求められる場面で迅速で的確な対応ができるだろうか。年を重ねてハナとの違いを意識する回数が増えるごとに、自分には外科医でなく内科医や小児科医のほうが向いてるんじゃないかと思うようになっていた。
「自分がしたいことと自分ができることって、案外違ったりするからな」
 突然のわけのわからないはじめの質問を茶化したりせず、成瀬は真摯に答えてくれた。
「でもきっと、はじめの純粋さや真面目さがあれば、どの選択をしても道は必ずひらかれていくと思うよ。覚悟を決めて選ぶ瞬間が来るまで、焦んないでさ、ゆっくり前向きに悩み続ければいいんじゃない?」
「そ、っか……」
「そうそう」
 はじめは肩から力が抜けて、シートにポスンと背中を預けた。ずっとひとりで悩み続けて苦しいばかりだったけれど、こうやって悩むことが悪いことじゃないのだと教えてもらって視界が明るくなる。成瀬の答えは行き詰っていたはじめの窮屈な思考を、柔らかく解放してくれた。
「なんだか、帰りたくないです」
 思わず本音がもれた。成瀬といると居心地がいい。ずっと双子のだめなほうだった自分が、ゆるされている気持ちになる。
「帰りなさいバカ。襲うぞ」
 冗談っぽく言われて、成瀬がゲイであることを意識した。別に襲われてもいい気がしたけれど、成瀬が自分を襲う気なんてさらさらないことがわかるから、はじめは大人しく車から外に出た。
「ごちそうさまでした」
「また遊ぼうな」
 手を振るのにお辞儀を返して、家の扉のノブに手をかけたとき、成瀬に名前を呼ばれて振り返った。
「君は、俺みたいになるなよ」
 小さく言ってすぐ、車は走りだす。外灯の光は車内にまで届かず、言葉を放った成瀬の表情をはじめは確認することができなかった。






ハナからはじめる恋のお話(4)

 弱みを探れというハナの指令も忘れて、はじめは成瀬とどんどん親しくなっていった。成瀬が生徒とのあいだに垣根を設けていないため、はじめが懐くと二人の距離が近づくのはすぐだった。
 今日は成瀬がマスクをして教室に現れた。声が嗄れていて、ときどき下を向いては咳をしている。風邪だ。はじめは授業が終わると教室を抜けだし、エレベーターに乗ろうとしていた成瀬の腕を後ろからつかまえた。
「おわっ。はじめ、どうした?」
 昼休憩でコンビニや食堂に向かう生徒たちが、講師の腕を引っ張って廊下を歩くはじめをおかしな目で見ていたが、気にせず目的の場所を目指す。階段を降りて使われていない個別指導室に成瀬を押しこみ、自分も中に入って後ろ手に扉を閉めた。
「な、にしてんだよ! 俺、風邪ひきかけなんだって。うつるとだめだから外出ろ」
 狭い個室の隅っこに移動した成瀬の忠告を無視し、はじめは斜め掛けバッグをガサゴソ漁って、小さな机の上に次々と物を並べた。
 のど飴にうがい薬、冷却ジェルシート、ビタミン剤、栄養ドリンク……。
 さらにバッグに突っこんだはじめの手を成瀬がつかんで止める。
「その中は、四次元につながってるのか」
 はじめが風邪をひいてるわけじゃないのに、どうしてそんなに用意がいいのか。
 受験で失敗した日以来、はじめは風邪を天敵扱いしていた。常に予防を欠かさず、ひいたらすぐに対応する。バッグの中はいつウイルスが襲ってきてもいいように、常に万全の準備をしていた。聞かれるままにそう説明しながら、はじめは栄養ドリンクのふたを開けて成瀬の手に持たせ、冷却ジェルシートを熱いおでこに貼りつけた。
「早く飲んで!」
「わ、わかったわかった」
 夏の風邪は長引く。対応が早いほうが治りも早い。成瀬が小さな瓶の中身を飲み干すのをじっと見つめて、今度はのど飴を渡した。
「もしかしてこれ、手作り?」
 いびつな形をしたそれを口に放りこんだ成瀬にうなずく。
「形はそろってないけど、効きますから」
「のど飴って、作るもんなの?」
 成瀬は首を傾げながらもおいしいとほめてくれた。はじめはそれが嬉しくて残りののど飴を全部、成瀬のスーツの左右のフラップポケットに詰めた。うがい薬とビタミン剤を成瀬に持たせ、すぐに医者にかかること、しっかり食べて眠ることを約束させると、はじめは大きく息をついた。
「先生って、ぼくを不安にさせます」
 成瀬の胸ポケットに入っている煙草を抜きとって、眉を寄せる。
「どうして風邪なのに、こんなの持ってるんですか?」
「いや、あのー……、うん、ごめん」
「もっと自分のこと大事にしてください。どうでもいいものと思わないでください」
 ずっと気がかりだった。成瀬の自然体な振る舞いは、いつもどこか投げやりに見えた。
「はじめがお医者さんだと、けっこう癒されるかも」
「え…………?」
 ネクタイの結び目に人差し指を引っかけて緩めながら、成瀬がふっと笑いをこぼす。
「ダメな大人ってさ、自分がダメなことを自覚してるんだけど、自分以外の誰かからダメだって叱られたいときがあるんだよな」
 そのことに今思い至った、と言って成瀬は新たなのど飴の包装をむいて口に放りこんだ。
「先生はダメなんかじゃないです」
 あんなわかりやすくて素敵な授業をする人間がダメなわけがない。自分を卑下する成瀬に突っかかると、ありがとう、とかすれた優しい声が返ってきた。
「はじめの優しさってうわべじゃないのがわかるから、まっすぐ伝わってくるんだよ。医者って正しい診断を下して適切な処置をするのが仕事だけど、でも病は気からって言うじゃん? 真剣に自分を心配してる人からの容赦ない忠告は、弱ってる人の心に染み入る」
 そこまで話すと成瀬は大きく咳きこんだ。苦しそうだから背中をとんとん叩いてあげたら、頭を撫でて返された。
「前に言ってたことと繋がるかもしれないけど。はじめは確かにメスより聴診器が似合うかもね」
 成瀬にとっては特別な意味を持たない、会話の流れの中の冗談交じりの何気ない言葉だったのだろう。だけどはじめにとってそのひとことは最後の一押しだった。ずっと誰かに背中を押して、認めてほしかったのかもしれない。大層な言葉を並べたてられるでもない、メスより聴診器が似合うから、というふざけた理由が、はじめの心から一瞬のうちに迷いを消した。
「うわっ、なに。ちょ、待て、どうした」
 気づいたらぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。自分でも特に悲しいことが起きたわけじゃないから驚いていたが、目の前の成瀬が自分以上におろおろしていたので、はじめはなんとか冷静でいられた。
「ごめん! 悪かった! なんとなくそう思っただけなんだよ。俺、思ってることなんでも口にする癖があって」
 知ってる。
「外科医になるなって言ってるわけじゃなくて、はじめみたいな町医者がいたら風邪ひくたびに通うだろうな、って思っただけで、深い意味はなくて、決してそうなれと強制してるわけでもなくてな?」
 わかってる。こぼれる涙を手のひらで拭いながら、はじめは優しく頭をなでながら泣き止まそうとしてくれている困り顔の成瀬に何度もうなずいた。
「悲しいんじゃなくて、嬉しかったん、です」
 鼻が詰まって呼吸が苦しかったけど、なんとかそれだけ声に出した。言葉を発したことで喉が引きつり、嗚咽をこらえることが難しくなってしまって、はじめは声をあげて泣きだした。ハナと自分を平等に愛してくれる外科医の両親には言えなかった。両親と同じ外科医になることを子供のころからともに目指していたハナにも言えなかった。自分ひとりが家族の輪から外れるみたいで怖くて、みんなを裏切るみたいで申し訳なくて。だけどそうやって本当の気持ちを隠していることが、大切な家族を裏切っていることになるのかもしれないと、今気づいた。
 迷うことを許してくれたのも、決断する勇気をくれたのも、目の前にいる成瀬だった。
「嬉し涙なんだとしたら、泣きすぎ」
 ふっと小さく笑いをこぼして、成瀬ははじめの濡れた頬を指先で拭った。前に触れられたときより、風邪のせいか手が熱かった。
「もう泣きやめよ。君、童顔だから、子供泣かせてるみたいな気になってくるんだって」
 成瀬の手のひらのぬくもりにうっとりしていたはじめが、ゆっくりと顔を上げる。
「子供、ですか?」
 成瀬は自分のことを、やっぱり子ども扱いしてるのだろうか。
 それは、いやだ。
 じっと見上げて答えを待つ。ゆっくり目を見開いた成瀬が、はじめの頭を上から押さえつけて髪をぐしゃぐしゃにかき回す。
「子供だよ、色気づくなよな」
 痛いと訴えると、そんな返事が来た。髪から手の感触が消えるとすぐに、成瀬は個室を出ていった。

 三日後に会った成瀬は、もうマスクをつけてなかった。
「はじめのおかげで治った」
 お礼だ、とジュースを手渡されて、はじめは嬉しいのと恥ずかしいので自分の靴を見ながらひそやかに微笑んだ。
 梅雨明け間近の空はよく晴れ、一日の仕事を終えた太陽は街全体を淡いオレンジ色に包みこんでいた。予備校の屋上からその景色を見下ろしていると、成瀬が柵に寄りかかるはじめの隣に来て、同じように街を眺めた。
「最近どもらないで話すようになったよな、はじめ」
 横顔が楽しそうに笑っている。
「先生のおかげです」
 一呼吸おいてから、話し始める。
 成瀬にしゃべるときのコツを教わってから、はじめはそれを毎日実践していた。
「君が自分で、努力した結果だよ」
 大学に受かったときも、成瀬はこんなふうに言うのかもしれない。
「俺と話すみたいに誰とでもうまくしゃべれるようになったら、はじめは今よりずっとモテるんだろうな」
 成瀬は遠くを見つめていた。
 はじめが予備校内でいつもハナと一緒にいるのに気づいているのだろう。もっと周りに馴染めと暗に言われてる気がして、はじめは頑なに首を横に振った。
「別にモテたくありません」
 不特定多数に好かれたいわけじゃない。成瀬と親密になりたいだけだ。もっと深く知りたいし、知られたい。でもこんなことを考える自分は、自然体で自由な成瀬には重いのだろうと思った。
 成瀬の言葉通り、誰とでもうまくしゃべれるようになったら、またほめてくれるだろうか。そもそも将来医者になろうという人間が、人見知りなんてしている場合じゃないのかもしれない。わざわざ言葉にして聞かせるということは、成瀬もはじめにもっと社交的になったほうがいいと思っているからに違いない。
 無理をしてまで友達を作ることに、抵抗がないわけじゃなかった。でも―
「ぼくがみんなと仲良くなれたら、先生はそんなぼくを、好きになりますか?」
 成瀬が明るく社交的なほうが好きだと言うならば、自分にとって無益な努力もいとわない。成瀬とより親密になるための近道があるなら、どんな方法でも実践しようと思った。
 すがるような目を向けていると、柵にもたれていた成瀬がよろける。
「ちょ、待って」
 口元を大きな手で隠し、ふらふらと後ずさってしゃがみこむ。がっくり首を垂れて丸まる成瀬に駆けよって、はじめは肩を揺さぶった。
「だ、大丈夫ですか」
 触れた肩が熱を持っていた。髪のすきまから見える耳が、夕焼けに焼けたみたいに赤く染まっている。病み上がりでまだ体調があまり良くなかったのかもしれない。バッグを開けて冷却ジェルシートを探していると、成瀬がはじめの手を止めて突然立ち上がった。
「おれは大丈夫、風邪は治ってる。平気だから。か、勘弁して、ほんと」
 成瀬はよくわからないことを言いながら、袋小路に追い詰められた犯人のように一歩ずつ後ろに下がった。いつもと明らかに違うおかしな成瀬を見て、風邪は治ったと本人は言うがやはりまだ完治してないのだと思った。扉を開けて屋内に消えた後ろ姿をすぐさま追いかけたけれど、どんなスピードで階段を下りたのか、はじめがふたたび成瀬の姿を見ることはできなかった。






ハナからはじめる恋のお話(5)

「案外早く、気づいたわね」
 大きな目を見開いて母が言う。
「はじめに外科医は向いてないわ」
「そうだなぁ」
 ひどい脂肪肝だな、と分析しながらソテーされたフォアグラを口に運んでいた父も、母の言葉に賛同した。
 家族四人がそろって外食をするのは、半年ぶりだった。母が最近よく来ているという勤務先の近くのフランス料理店で、ディナーのコースを注文した。オードブルが運ばれてくる前に、太り過ぎた虫垂炎の患者の開腹手術に苦労した、という話を詳細に聞かされて、はじめの食欲は料理を見る前から落ちていた。
「はじめは神経が細やかすぎるのよ。皮膚にメスをあてることすらできないわ」
 グラスにたっぷり注いだフルボディの赤ワインを一気に飲み干して母が言った。
「血も苦手だもの」
 舌と同じピンク色をした薄切りの鴨ロース肉を頬張ってハナが言う。
「パパが池でつかまえたウシガエルを解剖してるの見て、はじめかわいそうだって泣きながらゲロ吐いてたよなー」
「パパ! 食事中にゲロの話はやめて」
 懐かしそうに目を細める父の頑丈な二の腕を、ハナは手加減せずに何度もグーで殴る。ドスッ、ドスッ、という鈍い音を聞きながら、はじめはハナの正面で過去のカエル事件を思いだし、気持ち悪くなっていた。
「なににも縛られずに、好きな道を選べばいいのさ。君たち二人の人生なんだから」
 ハナとじゃれていた父が、あっさりとした口調で言った。
「そうそう。稼いでさえくれれば、なんでもいいのよ」
 母の言葉にみんなが笑う。
 外科医である両親に、医者にはなりたいと思っているが、外科医には向いてないかもしれないと告白するのは勇気がいった。自分を愛してくれている両親やハナをがっかりさせるかもしれない。不安と緊張に苛まれていたはじめは、家族の快諾にただただ驚いていた。
「はじめが自分の考えをはっきり言ってくれて、ママ嬉しいわ」
 母の言葉に父が微笑みながらうなずく。引っこみ思案なはじめの告白自体を、二人は喜んでくれているようだった。
「まあこのさきの長い大学生活で、時間はたっぷりあるんだから、いろんなものを見てゆっくり考えて決めなさい」
 受験のときに風邪だけひかないように、と父が冗談交じりに忠告した。

 話題のスプラッター映画を観にいくという両親と別れ、ハナとはじめは駅に向かって歩いていた。食事はほとんど喉を通らなかったけれど、悩みがひとつ晴れたことではじめの心は軽やかだった。足取りも軽く前進していたところ、突然隣のハナが立ち止まったので、彼女と腕を組んでいたはじめは、わっと声を上げてつんのめった。
「あれ、成瀬先生だわ」
 真っ白なハナの指先の延長線上に目を向ける。車通りの激しい大通りの向こう側に、いつものスーツ姿じゃない成瀬を見つけた。
「お友達かしら」
 背の高い成瀬の隣には、彼より少しだけ小さい引き締まった体つきをした男がいた。二人はなにか話しながら移動し、すぐに細い路地に入って大通りから消えた。角を曲がる寸前、男の手が成瀬の背中に触れた。とても自然で、さりげない仕草だった。
 ふたたび歩きだそうとしたハナが、腕を引いても動かないはじめを振り返った。
「どうしたの。真っ青よ」
 なにもしなくてもほんのり赤みがかっているはじめの頬には、色がなかった。驚いたハナははじめのバッグから栄養ドリンクを取りだして、動かないはじめの口に無理やり突っこんで飲ませた。

 成瀬の隣を歩いていた男の人を、はじめは知っていた。
 ゲイの人たちが集まるバーで、成瀬と待ち合わせをしていたコージという人だ。突然現れて成瀬を連れ去っていくはじめに、嫌な顔せず笑顔で手を振ってくれた。あの店の中にいたということは、彼もゲイなのだろう。
 そして、成瀬との関係は。
 友達だろうか。それとも。
 あのとき、約束をしていたコージのいる店に戻らなくていいのかと聞いたはじめに、成瀬は今度埋め合わせをするから大丈夫だと言っていた。信頼関係が成り立ってないとできないことだ。背中に自然に触れた手が脳裏に浮かぶ。二人の親密さが、そのちょっとした動作に表れていた。
 恋人、なのかもしれない。
 それは、二人が友達だと考えるよりもしっくりきてしまった。小麦色の健康そうな肌と短い髪。太陽のような笑顔に、無駄のない筋肉で引き締まった体。もやしみたいにひょろひょろで生白い自分とは、正反対だと思った。もし成瀬があんな男の人を好きなのであれば、はじめなんかが成瀬に好かれるはずはなかった。


 名前、住所、職業、電話番号。空欄に自分の情報を埋めていく。
 予備校が休みの土曜の朝、まだ眠っているハナを家に残して、はじめは隣町にあるスポーツクラブに入会手続きに来ていた。母には勉強の気分転換に体を動かしたいからと説明したが、運動が苦手なはじめの突飛な発言に、彼女は不思議そうに首を傾げていた。
 フィットネスマシンがずらりと並ぶフロアに案内される。朝一番だからか、まだ人はそれほどいない。
「インストラクターの乾です」
 受付の女性から紹介を受けた男は、はじめに向かってにっこり微笑んだ。さわやかな朝にぴったりのきらめく笑顔を前にして、はじめの思考は一時停止した。
「僕の顔に、なにかついてます?」
 コージがおかしそうに笑う。どうやらマシンの説明をしてくれていたようなのだが、はじめが相づちも打たずぼんやり自分を見つめているので、不思議に思ったのだろう。
「い、え。なにもついてません」
「では、とりあえず使ってみましょう」
 空いているマシンから順に回り、コージはわかりやすく説明をしてくれる。印象が薄いからだろう、コージのほうはバーで会ったはじめの顔を忘れているようだった。
「筋肉をつけたい、ということですね」
 受付ではじめが記入したアンケート用紙にコージが目を通す。完璧な肉体美のコージの前で、ひ弱な自分がきたえたいなどと思ってるのがばれていたたまれなかった。しかもそう思った動機は不純で、自分も目の前にいる男のような、成瀬に好かれる体になりたいからだなんてことは、間違っても言えない。
「がんばって、一緒にきたえましょうね」
 筋肉をつきやすくする食事方法を説明したあと、コージは最後にグッとガッツポーズを作ってみせた。
 まさか、なんとなく選んだスポーツクラブが、成瀬の恋人らしき人の職場だったなんて。偶然にも親しげな二人を見かけた翌日に、そこに入会してしまう間の悪さが、なんだか自分らしいとはじめは思った。


 体を動かすと気分転換になるというのは本当だった。勉強だけをしていたときより、運動するようになった今のほうが、机に向かうときの集中力が増している。これで筋肉さえつけば、成瀬にも好かれて一石二鳥だった。
 はじめはスポーツクラブに通うようになってから、授業以外ではできるだけ成瀬の前に姿を見せないようにした。もやしのような体がムキムキに変わるまでは成瀬と距離を置くことにしたのだ。はじめは生まれ変わった自分を成瀬にできるだけ早く披露したくて、毎日予備校が終わると脇目も振らずスポーツクラブへ直行した。
「俺の知り合いに、予備校講師がいてね」
 ひと通りのトレーニングを終えて休憩所のベンチでスポーツドリンクを飲んでいたはじめは、隣に座るコージの発言に口に含んだ水分を噴きだしかけた。
 何度か通ううちに、コージはよくはじめを見つけて世間話をしてくれるようになった。クラブ内の男子更衣室で最近ちょっとした痴漢騒ぎがあったらしく、昨日もわざわざはじめを探しだしてその話をしてくれた。クラブ内では従業員による見回りと不審人物のチェックを行っているらしい。可愛い顔をしてるし大人しそうだから気をつけてね、とコージは忠告してくれたけど、それはたぶん表向きの理由で、本当はスポーツクラブ内で誰とも馴染めないでいるはじめを気づかって、話の種を提供してくれているのだろうと思われた。
 そんなふうにいつも話を振ってもらうばかりだったから、今日は勇気を出して自分が予備校生であるという話をしてみたら、コージは成瀬と思われる人物について語り始めたのだった。
「そいつ変態なんだけどさ、まあ煮えきらない奴でね。この前も突然電話がかかってきて、飲みに誘われたから行ったら、ぐちぐち悩み聞かされて。たまったもんじゃないよ」
 はじめが知らないと思ってるからか、コージは遠慮なく成瀬の悪口を並べたてた。でもそんな悪態を吐きつつも、表情はどこか楽しそうに見える。
 はじめは成瀬の電話番号も知らなければ、悩みの相談もされたことがない。彼が変態なのかどうかも、もちろん知らない。予備校の外で二回会ったけれど、それははじめが困っていたり、ハナに勧められて断れなかったからで、純粋に誘われて会ったわけじゃなかった。
 自分はコージとは違うのだ。ただの生徒で成瀬のプライベートには入りこめない。当たり前のことなのに、それが悔しくて悲しくてやりきれなかった。
 どうすればもっと深く、成瀬と関われるのだろう。コージのような体になれば成瀬に好かれるかと思ってここに通っているが、気分転換にはなるものの、今のところ筋肉は一向につく気配がない。家でも鶏のささみと卵の白身をたくさん食べているけれど、腹筋は割れないし、ふくらはぎもフニフニのままだった。成瀬に言われた言葉を思い出す。できることとしたいことの違い。いくらそれがしたいことでも人間には向き不向きがあって、きたえたぶんが着々と身になっていく人と、そうなるには相当な努力が必要な人がいる。
 はじめは筋トレに向いてないのだろう。成瀬の好きなコージにあこがれて体をきたえ始めたが、簡単にはいかないみたいだ。はじめの体は、成瀬に好かれないようにできているのかもしれない。でも必死で努力したら、いつか報われる日が来るだろうか。それとも、ただの徒労に終わるだけだろうか。






ハナからはじめる恋のお話(6)

「大丈夫ですか」
 更衣室の隅っこで、考え事をしながらうつむいて着替えていたら、後ろから声をかけられた。驚いて振り向くと、目の前に知らない男の人が立っていた。
「君、いつもこの時間に来てるよね」
 四十代前半くらいの、がっちりしたヒゲ面の男は言う。相手のほうは、はじめのことを知っているような口ぶりだった。昨日コージに聞いたばかりの話が頭をよぎる。ここ最近あった、この更衣室での痴漢騒ぎ。
「これからちょっと、時間ある?」
 時間はあったけど、怖いので首を横に振った。あまりに距離が近いので後ろに下がろうとしたら、踵が壁にぶつかった。広い更衣室内のどこかからほかの人の話し声はするけれど、背の高いロッカーの衝立に阻まれて、隅っこにいるはじめからその姿は見えない。
「のいて、ください」
 脱いだばかりの汗で湿ったTシャツを握りしめ、はじめは勇気を振り絞ってその一言を発した。その直後、首がぐっと絞まる。男の右手が、はじめの喉元を壁に押しつけて圧迫していた。
「おとなしく、してろよ」
 そう言うと、裸の上半身に男の左手が這う。首を押さえつけられている恐怖から、変に抵抗はできなかった。なんて間抜けなんだろうと思う。昨日コージが忠告してくれたというのに、自分みたいなもっさりした人間がターゲットになるはずがないと警戒しなかったため、痴漢に合ってしまっている。生温かいかさついた指先が、乳首をかすめて下りていく。汗ばんで湿った背中の真ん中を、冷や汗がつー、と流れ落ちる。乾いて震える唇をきつく噛みしめた。そんな怖くて声も出ない恐慌状態の頭の中に一点、妙に冷静な場所があった。
 知らない男に触れられながら、成瀬のことを考えていた。自分がこんなふうに成瀬に触れられたいと思ってることに気づいた。成瀬の恋人らしきコージに憧れて、いつも成瀬に好かれる方法を考えていたけれど、この気持ちが恋であることに、はじめは今まで気づかなかった。
 最悪の状況で覚った事実に目が暗む。罪悪感をまとった抗えない強い思いが、涙になってこぼれ落ちた。今までそこにあるのに気づかなかったのが不思議なくらい、その感情は無視できないくらいの存在感で、心の大部分を占領している。
「先生……」
 ヒーローに助けを求めるように、はじめは声を絞りだした。こんなところまで成瀬が来るはずないことはわかっていたけれど、追いつめられて焦がれるのは、やはり好きな相手だった。
 つらい現実から目をそらしていると、前方からドスドス荒い足音が近づいてきて、直後、間近で低い怒声がした。
「なーにしてんじゃコラー!」
「ウワーッ!」
 背後から男に跳びかかったコージが、バックチョークで男の首を絞める。痛い痛い、と叫ぶ声に従って拘束を解いた直後、ふらついた男の腹にドロップキックをかまして仰向けに転がした。
「大丈夫? 円くん」
 派手なアクションを見せたコージは、くるっとはじめに向き直って心配そうに顔をのぞきこんできた。
「は……、い。なんとか」
 ずり下げられたハーフパンツを元に戻して、はじめは無理やり笑顔を作って涙の跡を手で拭った。騒ぎを聞きつけて飛んできた他の従業員が、倒れたヒゲ面男を連行していく。どうやらもめてる二人に気づいた客が、従業員に通報してくれたようだった。
「なにか変なことされなかった? 大丈夫?」
 コージは震えの止まらないはじめの背中にバスタオルをかけて、ごしごしと手でさすってくれた。気分は悪くないか、自分も気をつけていたんだがこんなことになって本当に申し訳ない、と何度も謝罪の言葉を繰り返して、はじめの震えが止まるまでずっとそばにいてくれた。
「犯人は捕まったし、こんなこともう決してないようにするから、怖がらずに必ずまた来てね」
 着替えて帰るはじめを入口まで見送ってくれたコージは声を詰まらせ、涙ぐんだ。手のひらが真っ赤になるまで背中をさすってくれて、涙を浮かべて心配してくれる。これを彼が仕事だからやっているとは思えなかった。きっと人格なのだろう。
 強くて、温かくて、正しい人。こんな人がライバルなのだから、はじめにはもう、なすすべがなかった。


 あきらめるべきなのだと思った。恋心に気づいた途端、それがどうにもならないものだとわかったのだから。
 そういえば成瀬も言っていた。恋もいいけど勉強もしっかりしろ、と。今は受験勉強に打ちこむべきときであって、恋愛などしてる場合じゃないのだ。
 自分にそう言い聞かせてみるが、成瀬を見るときっとだめになるとわかっていた。初めて抱く恋愛感情。その自分の気持ちに気づいたのは、三日前。ひとりで過ごす週末でさえ、いくら考えないようにしてみても頭の中は成瀬だらけなわけだから、これが本物と対面となると、舞い上がってしまっている自分が容易に想像できる。自覚されたばかりの恋心は、はじめの理性の制止を振りきって暴走しまくっていた。
「もう無理」
「なにが無理なの?」
 週明けの月曜。最後の授業が近づくと、心臓がバクバク速まりだした。ざわめく教室の中、机に突っ伏したはじめの髪をハナがいたずらで一本抜いても気づかないほど、意識はもうすぐ教室に入ってくる成瀬だけに集中していた。
 もういっそ来なければいいのに。そう思った瞬間、教室の扉が開く音がした。ざわめきが小さくなって教壇に人が立ったのがわかる。
「受付の張り紙で見た人もいると思うけど」
 成瀬の授業なのに違う人の声がしたので、はじめは拍子抜けしてそろりと顔を上げた。
「成瀬先生は、一身上の都合で退職された。今日から代わりにこのクラスの英語を担当する―」
 佐伯だとか、引き継ぎはできてるとか、全員合格させてやる、とか言っている。途中まではなんとか耳に入ってはすぐさま抜けていったが、そのあとの授業内容に関しては聞こえてすらこなかった。
「成瀬先生の一身上の都合ってなんですか?」
 授業終わりのチャイムが鳴ると、誰より先に教室を出て受付に向かった。
「講師のプライベートな質問にはお答えできないんですよ」
 残念そうに眉を下げる受付の女性に、電話番号だけでも教えてくださいと何度も頭を下げたが、返ってくる答えは全部同じだった。
 来なければいいとか思ったら、成瀬は本当に来なかった。というか、もうこのさきずっと来ないらしい。さっきまではあきらめるべきだと考えていたのに、もう会えないかもしれないとわかると胸が張り裂けそうだった。
 突然の退職理由はなんだろう。それとも生徒に言わなかっただけで、辞めることは前から決まっていたのだろうか。ひ弱な体を成瀬の前でさらすのが嫌で、ここ最近、授業以外で顔を合わさないようにしていたのがアダになっている。やることなすことが裏目に出ている気がした。こんなことになるならもっと成瀬の近くにいて、たくさん話をしておけばよかった。
 すべてはあとの祭りだ。ぐるぐる後ろ向きに考えてみたところで、答えをくれる人はもうここにいない。でも、このままあきらめられるわけがなかった。こんな強い思いから目をそらしたまま、何事もないように日常を送れるはずがない。受付でなんの収穫も得られなかったことに肩を落とし、荷物を取りに教室に向かう途中で、頭の中にひとりの人物が浮かんだ。
「そうだ! コージさん」
 呟くとはじめは走りだした。彼なら成瀬の事情を必ず知ってる。なんせ恋人なのだから。机に置きっぱなしだった荷物を取って、友達と帰ろうとしていたハナに素早く手を振り、はじめは入ってきたときと同じスピードで教室を出ていった。

「え? ちょ、待って、どういうこと?」
 コージは飲んでいた缶コーヒーをベンチに置いて立ち上がった。
 スポーツクラブに着いてすぐ、ロッカールームで着替えもせずにマシンジムのフロアに飛びこんだ。トレーニングもしてないのに汗だくで、まっすぐ自分の元へやってくるはじめの様子がいつもと違うことに気づいたのだろう。教えてほしいことがあるとお願いしたら、コージはわざわざ休憩をとって公園まで出てきてくれた。
 ひと通り話を聞いてくれたが、はじめの説明がたどたどしかったのだろう。コージは頭を抱えて再度の説明を求めてきた。
「あの、コージさんには申し訳ないんですけど、ぼく、成瀬先生のことが好きで……」
「ストップストップ! 待って。円くんがなんで成瀬のこと知ってるの?」
「ぼくの予備校の先生だから」
 声は出てこないのに、コージの口だけがどんどん開いていく。
「先生が突然辞めてしまって、でもぼくはどうしてもあきらめられなくて、気持ちだけでも伝えたいんです」
 迷惑だとわかっている。成瀬はなにも言わず退職したのだから、生徒に居場所を探られたり連絡を寄こされたりしたくないはずだ。でも知らぬまに大きく育ちすぎた成瀬への思いは、はじめの中で中途半端に放置しておけるようなものじゃなくなっていた。怪物化した恋心は、もう自分の手に負えない。成瀬にぶつけてきっぱり振られて、粉々に砕け散ることでしか終焉を迎えられない気がする。
「あー、あのさ。オレに申し訳ない、っていうのは、いったいなんのこと?」
 それに迷惑をこうむるのは成瀬だけじゃない。告白がしたいから自分の恋人の連絡先を教えろだなんて言われて、いくら心の広いコージでも気分を害さないわけはないだろう。
「本当にごめんなさい。コージさんは、成瀬先生の恋人なのに、こんなこと頼むなんて非常識だとわかってるんですけど―」
「ハアァああー?」
 静かな夜の公園にコージの叫び声が響きわたる。散歩中の小型犬が、コージを敵と勘違いしてキャンキャン吠えかかるのを飼い主がなだめていた。
「ななな、なんでそんな勘違いしてるの?」
 コージは自分の恋人が男であることを隠そうとしているのかもしれない。でもはじめはすでに知ってしまっているので、黙っていたことを正直に話した。
「ぼく、実はバーで一度コージさんと会ってるんです」
 コージが先に約束をしていたのに、あとから現れたはじめが成瀬を連れだしてしまった。そのときのことを説明し、はじめは改めて頭を下げた。このあいだ偶然街で二人を見かけたことも話すと、コージは目も口も全開にして、大型犬がケンカを売ってきそうな大声で叫んだ。
「あのときの! 円くんだったんだ!」
 バーで会った日、どうやらコージは早い時刻から飲んで酔っ払っていたらしく、はじめの顔をはっきり記憶していなかったのだと言う。
 マジでとか、信じられないとか、そうだったんだとか、すげーとか、大きな独り言をたくさん呟きながら、コージがポケットから取りだしたメモ用紙になにかを書きこんでいく。
「あいつ今、ケータイの電源落としてるからね」
 はい、と手渡された紙には地図が描かれていた。
「今すぐはダメなんだけど、その地図の場所にいるから。週末あたりに会いに行くといいよ」
 成瀬もきっと喜ぶ、とコージはニッコリ笑った。
「本当に、失礼なお願いを聞いてもらって、ありがとうございます」
「失礼な?」
「だって、コージさんは、先生の恋人なのに」
「だーからー、それ勘違いだって。俺はゲイだけど、恋人は別にいるからね」
 そう言ってはじめの肩をポン、と叩く。優しい笑顔を向けられて、はじめもなんとか笑って見せた。これから振られに行くはじめに、コージはわざわざ前もってダメージを与えないよう気づかってくれているのだ。
「あと、会ったらこれ渡してくれる?」
 メモ用紙をもう一枚取りだして、さらさらとなにか書いてはじめに渡す。グフフ、と笑ってコージは両手で顔を隠した。
「お幸せに~」
 帰り際、手を振ってなぜか祝福の言葉を投げかけてくるコージに、はじめはなんだかわからないまま、首を傾げて手を振り返した。






ハナからはじめる恋のお話(7)

 七月最後の空は、気持ちのいい青一色でカラリと晴れわたっていた。
 手描きの地図から目の前の白い建物に視線を移す。コージが、成瀬は今ケータイの電源を落としている、と言っていた意味がわかった。
 入口の自動ドアを抜けると、病院特有の消毒液の匂いがした。
 どうして成瀬はこんな場所にいるんだろう。予備校を突然退職したことや体調を崩していたことを思いだして、はじめは涙目になった。震えてもつれそうになる足を拳で叩いて、受付で成瀬の居場所を尋ねる。病室の番号を告げられてエレベーターで五階までやってきたのに、部屋の前に立つと階段を使ったみたいに呼吸が激しく乱れていた。
 おそるおそる病室内に入る。成瀬の名前のプレートが挿しこまれたベッドは、もぬけの殻だった。
「成瀬くんなら、屋上に行くって言ってたよ」
 ベッドを見下ろしているはじめに、同室の患者がそう教えてくれる。
「屋上」
 はじめはふっと呟いて、すぐさま病室を飛びだした。すれ違った看護師が、後ろから歩きなさいと声をかけてくるのも聞こえない。非常階段を一段飛ばしで駆けあがると、頂上の重い扉に体をぶつけて力いっぱいノブを回した。
 はじける白が目の前を舞う。陽の光をたっぷり浴びた洗濯物のシーツの群れが、風をふくんで雲のように膨らんでいた。
「先生!」
 姿の見えない成瀬を必死で探した。視界をはばむ清潔なシーツの森を抜けると、柵に身を乗りだしている成瀬を発見した。
「先生!」
「お? わ、はじめ?」
「し、し、死なないでください~」
 よれよれと駆け寄って後ろから抱きしめる。
「はじめ、こんなところでなにやって……。ちょ、死なないって! 死なないから! 落ちつけ、はじめ、な?」
 腰をきつく締めていた腕を解かれ、なだめられながら深呼吸を強制される。成瀬に言われるままに、吸ったり吐いたりをしばらく繰り返してから、恐る恐る尋ねる。
「なんで先生、入院してるんですか」
 必死で気持ちを落ちつけようとした。医者を目指している人間がこんなことで動揺していてはいけないと思うのに、怖くて怖くて胸の中がどんどん冷たくなっていく。成瀬はいったいなんの病気なのか。はじめは震えが治まらない両手で自分のTシャツの裾をギュッとつかんで、目の前の少し痩せた顔を見上げた。
「手術したんだよ」
「しゅ、じゅつ……?」
「はじめに病弱だと思われるのが嫌で、黙って治して、何事もなかったようにまた会いに行くつもりだったんだけど」
 成瀬があきらめたような顔で笑いながら、ゆっくりとパジャマのボタンを外す。素肌の上に胸帯の巻かれた痛々しい上半身を目にして、はじめは貧血を起こしかけた。
「危ない危ない」
 ぐらん、と頭を回したはじめの肩を成瀬が支えてくれる。情けないけど、体は言うことを聞いてくれない。
「はじめさ、気胸って病気、知ってる?」
「気胸……」
 問われてはじめは目を大きく見開いてから、うなずいた。
 高校生のとき、長身の男子クラスメイトが授業中に突然胸の苦痛を訴え、救急車で運ばれたことがあった。はじめはそのとき気胸という病名を初めて知って、その病気について調べた。肺の一部が破れて、そこから漏れだした空気が肺を圧迫する病気だ。一度かかったら癖になるらしく、再発の可能性が高い。原因がわからないため予防のしようもなく、突然発症して治まるまで身動きが取れなくなってしまう厄介な病気だった。
「この病気が原因で、俺は高校教師をたった一年で辞めてしまったんだな」
 情けない、と言って成瀬は苦笑いをしながら、自分の頭をかいた。成瀬が女子高教師を退職したのは、生徒に手を出したからではなく、病気が原因だった。
 教師就任一年目の四月に、成瀬は気胸を発症した。一週間の休暇も病気だから仕方がない。そんなふうに周りが許してくれたのは、二度までだった。煙草を止めて規則正しい生活をしていても、三度目の病魔は懲りずに成瀬のもとにやってきた。一年間に三回の病気。診断書は提出しても、気胸に詳しくない他の教師からは、やる気の問題じゃないかと言われた。辞めろとまでは言われなかったが、周りの目が訴えていた。成瀬がそれに刃向うことができなかったのは、またいつ突然、悪魔が自分の肺を壊しにくるかわからなかったからだと言う。
「それで、予備校の講師になったんですか」
「そう。アルバイトだと自由が効くからね」
 ほがらかに成瀬が笑う。教師の夢を一年で断念せざるを得なかった辛い過去を、成瀬は明るく語った。
「それからはもう自暴自棄。でもいつ病気になってもいいやって構えないでいたら、なぜか以前ほどならないんだよ。煙草吸ってカップ麺ばっか食べて夜更かししてるのにさ。神様はいじわるだと思わない?」
 成瀬が以前はじめに、君は俺みたいになるなと言っていた。それは夢を途中であきらめるなという意味だったのかもしれない。
 以前ほどではなくなったといっても、やはり今も一年に一度くらいは調子が悪くなるらしい。成瀬の自然体な振る舞いがどこか投げやりに見えたのは、常に自分を支配する病気への反抗心があったからかもしれない。
「でも、変わろうって思った」
 病気は急を要するような事態ではなかったらしい。手術を決めたのは医者からの指示でなく、軽度の症状と再発回数を照らし合わせた、成瀬本人の判断だという。だけどこの病気は、手術をしても再発する人はする。何度も体にメスを入れる人がいるのも現実だった。
「昔はさ、手術したのに再発なんてことになったら自分がいよいよ絶望しそうで、怖くて踏みだせなかったんだ。でも今は、可能性が少しでも低くなるなら、やっておいてもいいかって思えるようになった。病気から逃げて、大切なものから目をそらすのはもうやめる。子供みたいにふてくされてないで、どうでもいいやって思わないで、ちゃんと病気と向き合おうって、そう思ったのは―」
 成瀬のつやめく眼球に、小さな自分が映っている。切れ長の聡明そうな目が、内側から光を放っていた。
「はじめに出会ったからだよ。君が俺を変えてくれた」
「ぼく、が?」
 よくわからなかった。自分なんかが成瀬になんの影響を与えることができただろうか。首をひねるはじめを見て、成瀬はまたごく自然に笑った。
「俺でさえどうでもいいと思ってる俺の体を、本気で心配してくれる。俺の代わりにくだらない噂に本気で怒ってくれる。はじめに優しくされて、そんなまっすぐで純真な君を、俺のほうが守ってやりたいって、守ってやれる強い体がほしいって思ったんだ」
 まだ二人が会話も交わしたことがなかったころ、教室にいる対照的な双子を見て、成瀬は兄のほうは生きにくいだろうなと思ったという。社交的な妹に隠れて、いつも周囲を警戒してる。傷つけられる恐怖に怯えているのは、純粋で、人を疑うことを知らないからだと。
「話してみたらやっぱりはじめは純粋で、でも俺が想像してたよりずっと強かった。守られる必要なんて感じてないかもしれないけど、大切にするからさ。よろしければ、俺と付き合って」
「ん………、ん?」
 さらりと成瀬がわけのわからないことを言った。守ってやりたいとか、大切にするとか、付き合ってとか。話の流れを見落としてしまったはじめは、眉間にしわを寄せて首をかしげた。
「俺さ、もう一度、高校の先生するんだ」
 はじめの傾いた首を両手ではさんでまっすぐに戻して、成瀬は照れくさそうに笑った。
 大学時代に世話になった教授に、高校教員の仕事を紹介してもらえることになったらしい。
「今の予備校講師も気に入ってるし、やりがいあるんだけど、手術の予定時期にちょうど新しい人が入ってきたから、引き継いで気持ちよく辞めることにした。やっぱり高校教師は子供のころからの夢だったから」
 もう一度、チャレンジしたいんだ。
 前向きに語る成瀬の目には、もう投げやりさは見つけられなかった。未来に向かって突き進む、生きる目的を見出した輝きに満ちている。
「それにアルバイトじゃ、このさき医者になったはじめに、俺が守られるはめになるじゃん」
「ん? んん?」
 話がまた難解なほうに転がる。
 再び首をかしげたはじめに小さく手招きして、成瀬は自分の口元にはじめの耳を引きよせた。
「これって俺の勘違いだったりする?」
「さっきからときどき、言ってる意味がよくわかりません」
「はじめも俺が、好きなんじゃないかって、思ってるんだけど、どう?」
「どうって…………。も? も、ってなに? わわっ」
 ぐいっと耳を引っ張られて、突然、唇にキスされた。下唇を包んで、ちゅ、と音をたてて離れていく。一瞬の出来事に目をつぶる余裕なんてあるわけなく、はじめは成瀬のつむった目の形をぼんやり見ていることしかできなかった。
「え、あ。好きです」
 離れた成瀬が答えを待っているようだったので、正直に答えた。
「ほんと?」
 うなずくとまた顔が近づいてきたので、はじめは奇声をあげながら後ろに飛びのいだ。
「ひゃー!」
「なんだよ、その反応」
「成瀬先生には、恋人がいます!」
「はあ?」
 しらばっくれる成瀬に、はじめは急いでバッグから取りだした地図とメモを渡した。しばらく固まっていた成瀬が、大きなため息を吐いて片手で額を覆う。
「なんだこれ。コージに教えられてここに来たんだ、っていうかはじめ、コージのジムに通ってるの?」
「はい」
「マジかよ、なんで?」
 一瞬、答えに詰まったけど、正直に話してみたら成瀬は嫌そうな顔をした。
「その、コージみたいになりたいっていうのはさ、俺がコージと付き合ってるって、はじめが勘違いしてることにつながってるわけ?」
 二枚目のメモ用紙を目の前に突きつけられ、はじめの体は固まった。二人が付き合ってるというのは、はじめの勘違いだと成瀬が言う。目の前のメモにも、コージの字で同じことが書かれていた。悪人でない二人が、そろってはじめをだますとは考えにくい。双方がそう言うのだから、きっとそれは真実なのだろう。
 成瀬とコージは付き合っていない。
「えええー……、なんでですか!」
「なんでもなにもないから。俺とあいつが付き合ってるわけないじゃん。どうしてそんなおかしな勘違いしたんだよ」
 成瀬とコージが付き合ってると思いこんだ理由を探るため、記憶を巻き戻してみる。二人がゲイの人たちが集まる場所で、待ち合わせの約束をしていた。その最初の場面で目にした状況からすでに、思いこみは始まっていた気がする。
「でも、仲良さそうに見えたんです」
 はじめの妄想はいき過ぎてしまったようだが、それは事実だ。
「ただの友達だってば。でも大事な友人であることは確かだけどな。俺にとってのコージは、はじめにとってのハナのような存在じゃないかな」
 すごくしっくりくる説明にはじめは、はあー、と気の抜けた返事をした。コージは幼馴染で、昔からの成瀬を知る心やすい相手だという。コージにはじめのことを相談したら、受験生の、しかも未成年の生徒に手を出すなんて、お前は鬼畜だ変態だとののしられたらしい。はじめが成瀬の居場所を尋ねに行ったとき、当人たちがまだ知らないお互いの気持ちを、第三者のコージはひとり知っていたのだ。
 コージが別れ際、お幸せに、と言った意味が今わかった。
「納得した?」
 首を傾けて尋ねてくる成瀬に、素直にうなずく。成瀬は病弱だと思われるのが嫌で手術することを黙っていたのだと、さっき言っていた。それは貧弱な体を見られるのが嫌で成瀬を避けていた自分と似ている気がした。
「そう、よかった」
 びゅん、と突風が吹いて、シーツが大きく舞う。
 思わずつむった目を開くと、深い色の瞳が愛おしむようにはじめをじっと見つめていた。ふたたび近づいてきた唇を、今度はよけなかった。濡れた柔らかいものが唇のすきまに入ってくる。歯を舐められると、自然に口が開いた。
「んあ…………」
 口の中が気持ちいい。自分だけの空間に、成瀬の舌が入っている。重なり合う舌をおしつけ合っていると、口内に溜まった唾液が喉の奥に滑り落ちていく。
「んっ、ふ……」
 ゆっくりと嚥下しながら、唇を離す。目をひらくと、成瀬の色っぽい瞳がキスする前と同じようにはじめを見つめていた。
「あの、先生はここでなにをしてたんですか」
 濡れた唇を指の甲で拭って、はじめは照れ隠しにどうでもいいことを尋ねた。心臓がドクドク警戒音を鳴らしていて、この濃密な空間から抜けださないと倒れてしまいそうだった。
「ああ、いや? 別に。あれよ」
 今まで大人っぽい顔をしていたというのに、成瀬が突然あたふたしだす。
 なにか怪しい匂いがした。様子が変なことに気づいたはじめは、鎮まらない胸をとんとん叩きながら、いろんな角度から成瀬を見てみた。パジャマのズボンのポケットが四角く膨れている。不審に思ったはじめは、胸に触れていた手をズボッとそこに突っこんだ。
「きゃー、はじめちゃんのえっちー」
 明るくごまかそうとはしゃぐ成瀬を無視して、はじめは怒りに震えながら、ポケットから取りだした煙草の箱を凝視した。
「いや、なんか元気になったら吸いたくなったっていうか。あの、一本だけのつもりで持ってきただけだからっていうか、わー!」
 キッと成瀬をにらみつけると、はじめはいけないことだと知っていながら、手の中のものを握りつぶしてどこまでも青空の広がる柵の向こうに投げ捨てた。











ハナからはじめる恋のお話(8)R-18【終】

 翌日の日曜日、はじめはひとりで大丈夫だと言い張る成瀬の退院に付き添った。成瀬の一人暮らしの部屋に荷物を運ぶタクシーの中で、煙草の害について淡々と説明する。
「二度と吸わないでください」
「はい」
 タクシーが止まる直前に忠告すると、ずっと二人のやりとりを聞いていた運転手が、最後の最後で噴きだしていた。
「笑われちゃったじゃん」
「ぼくのせいじゃないです」
 マンションの部屋の前に着くと、本やタオルが入った荷物を成瀬にさし出した。
「帰る?」
 そんなそぶりを見せても、寄っていけと言われる気がしていたから、はじめは成瀬の言葉に混乱してしまった。
「あの……、帰りません」
 渡したばかりの荷物を奪って、うつむく。
 なにをしてるんだろう。成瀬は疲れているかもしれないのに。ひとりでゆっくりしたいに違いない。きっと傷口もまだ痛むだろうから。そもそも退院に付き添われたこと自体がやはり迷惑だったのではないか。ぐるぐる考えていて、はじめは目の前で成瀬が笑いをこらえていることに気づかなかった。
「帰すわけないから」
 突然、腕をとられて、家の中に放りこまれる。玄関で背中をぐいぐい押されて、わけもわからず急いで靴を脱いだ。鍵を閉めた成瀬ははじめの手からまた荷物を奪って、廊下を移動する途中に捨てていく。そのうしろをあわてて追いかけて部屋に入ると、そこは寝室だった。
 閉じられたカーテンが、外からのきつい陽射しで透けている。薄暗い室内で冷房のスイッチを入れたあと、ベッドに腰かけた成瀬に手招きされて、はじめはわけもわからず無言で首を横に振った。
「激しい運動はまだだめだって、医者に言われたんだけどさ」
 当たり前だ。まだ抜糸も済んでいないのに。
「ゆっくりすればいいだけの話だよね」
「なんの話ですか」
 そもそも。
 はじめは首を振り続けたまま、ゆっくり後ずさった。
「帰るの?」
 また成瀬が問う。
「帰りません」
「じゃあ、おいでよ」
 ベッドの表面を叩いて呼ぶ。上目づかいで目をそらさず見つめてくる成瀬を見て、きっとこんなわざを今までいろんな人に使ってきたのだろうと思った。かっこいい男が甘える仕草なんかすると、誰だってイチコロだ。そんな慣れた所作が、堂に入っていて憎たらしい。
 ふらふらと吸いよせられるように近づいて、隣にストンと腰かける。じっと前を見つめていると、隣からあごをとられてキスされた。気持ちのいい角度をゆっくり探ってくる舌に舌をねっとり絡まされる。
「ふ……、んぅ」
 あごの下をくすぐられて声が漏れた。口の端からあふれる唾液を、成瀬が舌で上手に舐めとってくれる。
「かわいいね、はじめ」
 肩を押されそうになって、はじめは成瀬のその手をとった。不思議そうな顔で見つめてくるその目をじっと見返す。
 成瀬が今まで関係を持ってきた人たちと、同じように扱われるのが嫌だった。
 特別になりたい。ほかと区別されたい。自分はそんな自己中心的な考え方をする人間だっただろうか。成瀬に恋をしてから、はじめはなんだか自分がわがままになった気がしていた。
 それに、成瀬は激しい運動は禁物なのだ。
「ぼくが、しなくちゃ」
 ぼそっと呟いたはじめは、立ち上がって枕のほうを指さした。
「寝てください」
「は、え?」
 早く、と足を踏み鳴らして、驚きながらも転がった成瀬の上にそっとまたがった。
「ぼくがします」
「えええー!」
 でも、初めてでなにをしていいかはわからない。
「教えてください。先生」
 尋ねると成瀬はしばらくフリーズしたのち、はじめの下で手を叩いて、傷口が痛むと言いながら大笑いしだした。
「なにがおかしいんですか」
 ちょっと膨れて尋ねると。
「じゃあ、服脱いで全部見せて」
 腕を組んで見上げてくる成瀬は笑いながら言った。冗談だったのだろうけれど、そんなことにはもちろん気づかず、はじめは言われたままに身にまとう衣服を脱ぎ捨てた。

「先生の服が、汚れます」
 だから脱いだほうがいいと訴えたのに、成瀬は大丈夫だと言いはってはじめの助言を無視した。服が汚れるというのは表向きで、本当は自分ひとりだけ裸なのが恥ずかしかったのだけど。
「気持ちいい?」
「は、い……、あっ、んー」
 前を寛げた成瀬のペニスをまたいで、お互いの裏筋が擦れるように腰を揺らす。先走りが茎を滴って、お尻の裏側までべとべとに濡れていた。
 快感に耐えられず、はじめの上半身が折れる。成瀬の傷跡の残る胸に落ちないよう顔の隣に手をつくと、爪で乳首をはじかれた。
「乳首、立ってるよ」
「やぁ……んんぅ……っ」
 キュッと摘まれて、高い声が出る。汗で湿る先端を親指の腹でこねられると、じんわりとぬるい快感がしこりの奥に溜まっていく。胸を弄られながら腰を揺らしてみると、すごく恥ずかしいのに、すごく気持ちがいい。
「はじめ、上手だね、かわいいよ」
「あ、あ。だ、め」
 上半身を起こした成瀬が、はじめの耳元で囁く。耳たぶを噛まれながら、指で乳首を押しつぶされるともうたまらない。
「膝で立って」
 言われるままに、はじめはお尻を浮かした。袋の裏側に長い指がもぐりこんで、濡れた穴にくすぐるように触れる。ぞくりとする感覚が恐怖なのか快感なのか、朦朧とする頭ではその違いがわからなかった。内周を測るように入口をぐるっと一周した指は、そのままゆっくりと奥に侵入してきた。
「痛い?」
「……たくは、ない……けど……、あ、んっや、ぁ……あん」
 初めて知る感覚に内ももが震える。思わず成瀬の頭を抱きこむと、乳首に舌が絡みついてきた。
「やだぁ……、んっ、あ、せんせ……」
 ペニスを扱かれながら、中の指が増やされる。乳首から唇を離した成瀬がいちいち、汁が垂れてるとか、腰が揺れてるとか教えてくるので、はじめはなんとか黙らせようと、形のいい頭を再び胸に抱きこんだ。
 成瀬は気持ちのいいところばかりを狙って愛撫する。だらしなく開いた口から唾液が落ちるのにも気づかず、はじめはうわごとのように何度も、先生、と繰り返した。
「もう……、しちゃ、だめです」
 息を切らしながら成瀬の両手をつかんで、自分の下半身から引きはがす。立てた膝が崩れ、成瀬の腰に座りこんだ。お尻の下にある成瀬のペニスは、なにもしてないのに硬くなっていた。
 かっこいい男というのは、こういうところまでちゃんとかっこよく作られている。はじめは腰の位置をずらし、恍惚と形のいいペニスを眺めながら、両手で包んでゆっくりしごいた。
「入れましょうか?」
 丸い先端も、長い竿も愛おしい。声に出して尋ねてみたら、はじめは自分がすごくそうしたいことに気づいた。
「はじめがしてくれるの?」
 優しい目で見つめられながら髪を撫でられて、うっとりとうなずく。硬くたぎったペニスを自分の後穴にあてがった瞬間、指とは違う大きさに気が遠くなった。
 でも入れたらきっと、気持ちいいはず。
「ふ……ぅ、んっ、ん」
 ゆっくり腰を落としていくと、成瀬のペニスが内壁をこすって奥へと埋まっていく。すき間なく中をいっぱいにされる痛みが、たまらなく気持ちいい。
「せんせ、気持ち……、いい、ですか?」
 深くつながったところで、はじめは成瀬を見下ろして尋ねた。もしかしてこんなにいい思いをしてるのは、自分だけなんじゃないかと不安になったのだ。
「気持ちいいよ。はじめは、痛くない?」
 聞き返されて首を振る。
「すごく、気持ちいいです」
 返事をしながら無意識に腰が揺れる。
「はじめのエッチ」
「先生は、エッチな子は嫌いですか?」
「君、それわざと言ってるんだよね?」
 成瀬の好みを知りたいから純粋に尋ねただけなのに、なにを言ってるんだろう。朦朧としながら、はじめはお尻の中の気持ちのいいところに成瀬のペニスが強く擦れるよう、不器用なりに一生懸命腰を揺らした。
「あ、あんっ、やー、そこ」
 上半身を起こした成瀬がはじめの動きに気づいて、丸く硬い先端をいいところに当ててくれる。
「ちゃんと治ったらさ」
 傷跡に響くのだろう、左胸をかばうように背後についた右手だけで体を支えて、成瀬が苦しそうに言う。
「もっといろんなこと、しような」
「は、いっ……、あ、んっ、んっ、あ……ああっ」
 浅いところから最奥まで一気に突かれて、はじめは仰け反った。乳首に歯を立てられるビリビリした痛みも、またたく間に快感へと変わる。
「やぁ……んっ! もう、いっちゃう……」
「俺も、限界」
「ん、ふゎ……、あ、あんっ、あっ!」
 成瀬の頬を両手で包みこむ。下から見上げてくる獰猛な瞳に犯されながら、はじめはいけないと思いながらも成瀬の着ている白いシャツに、自分の欲望を吐きだした。


「まあ、成瀬先生とねぇ」
 あきらかに自分のじゃない大きな白いシャツにアイロンをかけていると、ハナがそれはなあに、と尋ねてきた。どうせ黙っていてもいつかはばれるし、ハナには知っていてほしいことでもあったので、はじめは緊張しながら成瀬と付き合うことになった経緯を説明した。
「よかったわね、うまくいって」
 冗談でも殺してこい、と命令までした自分が振られた相手と、男であるはじめが付き合っていると言ったのに、ハナは特に驚いた顔も見せず、祝福した。
「い、いの?」
「ええ。だってはじめ、先生のこと最初から好きだったじゃない」
「最初、って?」
 はじめが成瀬を好きだと自覚したのは、スポーツクラブで男に襲われかけたとき、つい最近のことだ。ハナの言う最初とは、いったいいつのことなのだろう。首を傾げていると、自覚がなかったの? とあきれたようにハナが肩をすくめる。
「今日のネクタイはクジラの模様だったとか、格子柄のカフスボタンがオシャレだったとか、さきの尖ったピカピカの靴を履いていたとか、授業が終わるといつも私に報告していたでしょう? そういうことって、興味がなかったら気づかないものなのよ」
 ハナが得意げな顔で分析を終えたとき、家のチャイムが鳴った。柱時計を見ると、ちょうど約束の二十時だった。
「私が出るわ」
 玄関に向かうハナの後ろ姿を眺める。
 もしかしてハナは、引っこみ思案なはじめが成瀬と話すきっかけを作ってくれたのではないか。
「わざと、振られてくれたのかな?」
 プライドの高いハナがそこまでしてくれるとは考えにくかったが、同時に正義の人でもある彼女が、受験のとき風邪を引いてはじめにうつしてしまったことを負い目に感じていて、それをどこかで晴らそうとしていたとしたら。
 ハナの恩返し。
 はじめはそんな楽しい妄想をしながら、しわの消えたシャツを袋に入れて玄関に向かった。
「どうしてうちのはじめが、あなたのシャツを洗ってアイロンまでかけなきゃいけないのですか」
「俺はいいって言ったのに、はじめがどうしても持って帰るって言うからさ」
「うちのはじめになにしたのよ、この変態」
「なにしたかなんてこんなとこで言えるわけないだろ、このブラコン」
 相変わらずテンポの速い二人の会話を羨ましいと思いつつ、はじめはハナに戸締りをお願いして外に出た。
 夜風がじめっと首元にまとわりつく。冷房の効いた成瀬の車の助手席に収まると、はじめはまだ触ると温かいシャツをそっと隣の膝の上に置いた。
「こんなの俺が洗うのに」
 自分のもので汚したシャツを、成瀬に洗濯させることなんてできない。でもその説明をするのは恥ずかしすぎるので黙っていると、ありがとう、と成瀬が苦笑いする。その大人っぽい表情をちらっと覗き見てドキドキしながら、はじめは汗ばんだ手のひらをエアコンの送風口にかざした。
「安静にしてなくて、いいんですか?」
 朝に成瀬から『体なんてきたえるのはやめて、夜カレーを食べに行こう』というメールが入っていた。病み上がりだが体力はあるようで、一日中ひとりで家にいるのが退屈だと書かれていた。
「はじめこそ、体大丈夫?」
 聞き返されてなんのことだろうとぼんやり考えていたはじめは、昨日の今日でお尻を心配されているのだと思い至った瞬間、ボン、と燃やしたみたいに顔を真っ赤にした。
「大丈夫です」
「ほんと? どこも痛くない?」
 運転しながら伸びてきた左手が変なところを触ろうとするので、はじめはしっかり運転して、とフロントガラスを指さした。
「以前、コージさんも言ってましたけど、ハナも先生のこと変態だって言いました」
 さっきの玄関先での会話を思いだして、はじめは成瀬のいたずらをとがめた。
「だって俺、変態だもん」
 悪びれず返されて、はじめは口をポカンと開けて隣を見やった。
「で、はじめはそんな変態の俺のことが好きなんだよね?」
 尋ねられて考える。成瀬のことは好きだ。それは成瀬が変態だからなのだろうか。
 悶々と考えていると、そんなに考えなきゃわからないの? と不満そうな声が聞こえてくる。
「先生が、好きです」
「そう、ならよかったです」
 それは間違いない。
 でも、その好きな成瀬が変態だということは。
「僕も、変態なんでしょうか?」
 昨日の最中、成瀬にエッチだと言われたことを思いだしていると、成瀬がハンドルを叩きながら笑いだした。危ないと注意しようとしたけれど、車は赤信号で止まっていた。
「まあいいじゃん、お互い変態ってことで」
 明るく言われて、それもそうなのかなと思った。双方が変態なのだったら、問題はないのかもしれない。うなずいて笑いかけると、成瀬がはあ、とため息を吐いた。
「妹が自分のうしろに隠しておきたい理由がわかるわ」
 成瀬がよくわからないことを言ってすぐ、信号が青に変わる。気づいてない隣の肩を叩いて信号を指さすと、その人差し指をとられて体を引き寄せられた。バランスを崩しかけたところで唇が重ねられる。驚きつつも、昨日の行為を彷彿とさせる甘いキスにうっとり目を閉じた直後、しびれを切らした後続の車からクラクションを鳴らされた。






プロフィール

りんこそ

Author:りんこそ
宗川倫子(そうかわりんこ)
BL小説投稿生活中。ブログ内の文章の転載を禁じます。

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