白に混じる幸福(1)


 四月の空気が苦手だ。
 職場に新人が入ることで、ゆるみかけていた一年がリセットされ、新鮮な空気が漂う。希望に満ちた真新しいものを見ると、まぶしくて目を背けたくなる。それはきっと自分が汚れているからだと、静は思う。
 ただでさえ病院の中は白が多くてまぶしい。
 院内にいると白色のものがしょっちゅう目に入ってくる。壁、天井、医者の白衣に、自分たち看護師が着用している制服も白一色だ。ここでは血や嘔吐物、排泄物で汚れたものはすぐさま廃棄、洗浄され、快適で清潔な白だけがいつも人の目につくようになっている。
「静くん、さっきはありがと。十号室のバイタルチェック行ってくれて」
「先輩、忙しそうだったので」
「ほんっと助かる。あー静くんのおかげで今日も主任に怒られなくて済むー。あの鬼主任、十秒の遅刻で十分のお説教垂れるんだもん」
 一年先輩の女性看護師は腕時計を確認すると、いつもサンキュ、と静の二の腕を叩いて速足でナースステーションへと向かった。静も、自分の腕時計に目を落とす。陽に当たる機会の少ない自身の腕の生白さにすら目がチカチカする、夜勤明け間近の八時四十分。朝のミーティングのちょうど五分前。
 総合病院の病棟看護師の仕事はハードだ。日勤と夜勤があるため生活のリズムは狂うし、患者の急変やわがままで簡単に残業とストレスは増えていく。男の静でも体力的にきつい時がある。女性なら、なおさらだろうと思う。

「ミーティングは以上です」
 朝のミーティング終了後に申送りノートを日勤の担当者に手渡す。夜勤の仕事はこれで終わり。そのままナースステーションを出ようとしたところで主任に呼び止められた。
「静くん、紹介するわ。彼、昨日から病棟のリハビリに来てくれてる須田和真くん」
 そういえば昨日出勤前の夕方に、新しいリハの人間がひとりこのフロアに来ていると誰かから聞いた気がする。
 小さくて丸っこい主任の隣に立つとスラリとした長身が際立つその男は、深く素早く頭を下げてから頑丈そうな白い歯を見せて、理学療法士の須田です、と名乗った。学生時代、絶対モテたであろう体育会系のさわやか青年という感じ。初々しさとこなれた感じが混じった印象で、とにかくただきらきらとまぶしい。夜勤明けのにごった目に一秒だって映していたくない、四月の空気をまとった男だ。
「静です」
 小さく告げ、こちらもそっと頭を下げると。
「名前、なんすね」
 言われた意味がよくわからず、聞き返す代わりに軽く目を合わせたら、須田は好奇心に満ちた目を静の名札に向けた。
「静朋史。変わった苗字ですよね。男の名前で静ってあまりいないし、苗字とは思いもしなかったからあだ名かと思いました。なんかおとなしい、静かな人っぽいから。あ、ほら、みなさんミーティングの時にあなたのこと静くんって呼んでたので、勘違いしたんです」
 人がおとなしいかおとなしくないか、会って間もないのになんでわかるんだ、とは思わなかった。すぐに露呈してしまう。静は自分が放つ暗い雰囲気を自覚していた。
 だけど初対面の人間に、そんなにこやかになれなれしく話しかけられてもなにを返せばいいかわからない。黙っていると主任が見かねたのだろう、苦笑いでフォローしてくれた。
「静くんはたしかにおとなしいけど、仕事はできるからね。あなたも女性看護師より男性のほうがいろいろ話しやすいでしょ? 患者や病棟のことでわからないことがあったら彼に相談して。静くんもわかることは須田くんに教えてあげてね。受けもつ仕事は違うけど、チーム医療でお互い協力していきましょう」
 二人の手首をつかんだ主任に導かれ、須田の手と手が触れる。陽に焼けた須田の手は、見た目の印象どおり触れると体温が高く、静の青白く冷たい手とは対照的だった。まるで自分が死んでるみたい。静は生きている人間の生々しさに触れた気がして身震いした。
「お世話になります」
 笑顔で告げられ、まぶしさから思わず目をそらす。小声でよろしく、とだけ返した。力強く握ってくる接触から逃げるように手を引き、静はふたたび須田と目を合わすことはせず、その場をあとにした。


 白が多い院内のまぶしさは苦手だが、静は看護師の仕事が好きだった。体力的にも精神的にもきついぶん、やりがいがある。だけど誇りは持っていない。自分のすることで人の命は救えないから。医者がいて初めて、患者は救われる。
 看護師は立派じゃない。男で看護師なんてやってるのは底辺の人間だ。自分が誰かを助けられるなんて思い上がるな。勘違いするな。
 今から四年前。約一年間にわたって何度も繰り返し吹きこまれた言葉はその後もずっと静の心に植わっていて、もう今じゃ自分の考えみたいにそこに存在している。
「痛っ、てー!」
 比較的近くから聞こえてきたその叫び声に、思考が途切れ、静の眉間に微かな皺がよる。声の主はこの四人部屋の病室内にいるのか、もしくはすぐ外の廊下か。
「誰の声だ?」
「……さあ、誰でしょう」
 術後のガーゼを交換していた患者からの問いに首を傾げつつも、静はその声が誰のものだかはっきりとわかっていた。
 声質が独特だからだ。音だけで判断すると低い部類に入る。だけど話し声に弾んだような抑揚があるせいで、声全体が明るい雰囲気をまとっていた。まあ、明るく感じるのは彼がよく笑うせいもあるかもしれない。
「なにかあったら呼んでください」
 ガーゼ交換を終えた患者に告げ、仕切りカーテンを開ける。と、病室の入口にうずくまっているさきほどの叫び声の主である長身の男を見つけて、静はひとつため息を落とし、そっと近づいた。
「どうかした?」
 かがんで声をかけると、のそっと、彼らしくない緩慢な動作で顔を上げ、涙目で静を見上げてくる。どのパーツも自分の1・5倍くらいありそうな、男らしく派手な顔立ちが今ちょっと間抜けに見えるのは、鼻からぽたぽたと血が垂れているせいだ。
「静さーん」
 母親に助けを求める幼子のような情けない声を出して、須田が今に至る経緯を話しだす。病室の、開けると自動で閉まる自閉式の引き戸を外から開けて、中に入ろうとしたら廊下から患者に声をかけられ、ひと言ふた言交わしたのち、開けたつもりでいた病室に入ろうとしたところ、自動で閉まっていた扉に顔面をぶつけたということだった。
「立ち上がろうとしたら頭くらーっとして。あぶねーって思ってしゃがんでじっとしてたら、今度は鼻血がぼたぼた出てきて、全然血が止まんなくて」
 立ちくらみがして鼻血が出るほどだ、どれだけ派手にぶつけたのか。
 医療用カートからティッシュを取りだし須田の鼻に軽く詰め、ガーゼを濡らして鼻の付け根を冷やす。静は須田の説明を聞きながらも着々と処置を施し、血液で濡れた須田の手と床をアルコールを含ませたナプキンで拭って、立ち上がった。
「二、三十分経っても血が止まらなかったら、先生に診てもらって」
「白衣の天使」
「は?」
「って感じ。静さん」
 しゃがんだまま見上げてくる須田からすーっと目をそらす。須田が突然恥ずかしげもなくおかしなことを言いだすせいで、頬のあたりが熱を持った。
「意味がわからない」
 そのままカートを押して病室を出たら、須田があとからついてくる。
「しばらく安静に」
「もう大丈夫っす」
「おまえ、八号室に用があったんじゃ……」
 どうしてついてくるんだ。扉に顔面をぶつけたことで、本来の用事を忘れてしまったのではないかと危惧したら。
「静さんが八号室に入ってくの見かけたから、追っかけたらこんなことに」
 振り返ると、ティッシュを詰めた自分の鼻を指さし笑う。通りすがりの女性医師が須田の顔を見てちょっかいをかけて去っていった。
 こういう男がモテるのかもしれないと、静はふと思う。完璧な容姿で完璧を求めないところとか、どこかちょっと抜けていて憎めないところとか。いつ会っても陰りが見えない太陽みたいに明るい男。自分とは違う世界の住人。まぶしくて苦手だ。
「僕になにか用?」
 追いかけてきたというのだから、質問でもあったのだろう。主任にチーム医療で協力してわかることには答えてあげて、と言われていたことを思い出す。
「お昼一緒にどうかなって思って」
 一瞬、自覚できるくらいに静の鼻の付け根に皺が寄った。
「もう食べたから」
「マジ? いつの間に」
 ふたたびカートを押して歩きだす。須田はまだついてくる。
「じゃあ明日は? 今日のお礼にごちそうさせてください」
 憂鬱。絶対嫌だ。ご飯くらいひとりで食べたい。そう思いながら曖昧に頷いた。付き合いの悪い人と思われることすら面倒だった。
 なつかれたくないけれど、悪目立ちもしたくない。ただそれだけの理由で、静は須田からの誘いを断らなかった。


「え、静さんそんなに食うんですか?」
 メインの親子丼と冷やし中華のほかに小鉢を三つ、隙間なく詰まった静のランチトレイの中身を見て須田は驚愕している。
「食べないと午後がもたないから」
 財布にきびしいと文句を垂れるくせに、静が自分で支払うと申し出れば、これはお礼で約束だから、と須田は頑として譲らなかった。
 昨日、鼻血の処置のお礼にごちそうさせてください、と言われ頷いたけど、その約束を静はできれば現実にしたくなかった。だけど早めの昼休憩のためにこっそりナースステーションを抜けだしたところで、須田に捕まってしまった。
 午前十一時の院内食堂は、まだお昼のピークを迎える前で人が少ない。窓際の二人掛けのテーブルに、須田と向かい合わせで座る。
「意外すね。食細そうに見えるのに」
 食べるぞ、と気合を入れて腕まくりしたところで須田がぼそっと言った。目線の先はシャツをまくった静の、ところどころ青紫の静脈が浮き出た細い腕。
「悪かったね、貧弱で」
 胃下垂なのか、静は昔からどんなに食べても太れない体質だった。それに看護師は肉体労働だが、これも体質で毎日労働しても筋肉はほとんどつかない。正直目の前の男がうらやましいと思う。同じ職場で働き始めて一週間が経つが、須田は細めなのに全身にしなやかな筋肉がついているようで、日常の動きを見ていても無駄がなく、体幹のバランスがいいのがわかった。
 そんな理想体型に貧弱な体を見られ続けるのが居たたまれなくて、静は一刻も早く食べ終えてこの場を離れようと、手を合わせて食事を始めた。
「いや、そうじゃなくて。いいなって思って、ギャップが」
「ギャップ? なんだそれ」
 まだ全体を混ぜきっていない状態の冷やし中華を端からずるずる吸いこみながら、静は首を傾げた。
「そう。ギャップ萌えってあるでしょ。それです。デートに誘った女の子がちょっとだけ食べて『もうおなかいっぱい』とか言うの、オレあんま好きじゃないんすよ。細くっても気持ちよく食べる人って、見てるこっちも気持ちよくなっちゃうっていうか。だからいいっすよ。静さんみたいにおとなしくて繊細そうな人が健啖家なのって」
 静の麺をすする手が一瞬止まって、すぐ再開する。なんと答えればいいかわからなかったし、須田がなにを考えてそんなことを告げてくるのかもわからなかった。デートに誘うような女の子と自分を比較されても困る。
 でもその後の会話で、須田がなにも考えてないことはわかった。黙々と食べ続ける静の前で、須田は脈絡もないことをしゃべり続けていたから。その内容の九割が須田自身のことで、残り一割が静への問いかけ。
「静さん、部活なにしてました?」
「帰宅部。須田くんは」
「中高とサッカー部でした」
「それっぽい」
 いつも陽に当たってる、青春の主役のイメージ。そう伝えると須田ははにかんで笑った。
 六年間サッカーに打ちこんだことと、怪我による離脱。その時のリハビリ経験があったから、理学療法士を目ざした過去。学生時代の友達とのくだらないエピソードから、人生を決めた重大な出来事まで、冷やし中華と親子丼と三つの小鉢を平らげる間に、須田のさまざまな情報が静の頭に記憶された。
「本当に全部食べちゃったんすね……」
 須田の独り言を聞き流して、空になった自分のランチトレイを手に席を立つ。しゃべり過ぎてまだ完食していない須田を置いて売店に向かい、アイスコーヒーと売店名物のあん入り蒸しパンを二つずつ購入して席に戻った。
「ごちそうさま。これ、よかったらどうぞ」
 須田の前にコーヒーと蒸しパンを置いて自分は先にその食後のデザートを食べ始めていると、あんぐり口をひらいた須田と目が合う。
「なに」
「あれだけ食べたのにまだ食うの」
「悪い?」
「悪くないすけど、静さんの食欲すげー!」
 すげーすげー、と連呼するのを無視。というか、もう今まで交わした須田との会話の中で何度も、答えられないことに対してスルーを決めこんでいるのだけど、須田はそんな静の非情な行為をまったく意に介していないように見える。
 暗かったり口数が少なかったりするから、静の周りに人は集まらない。看護師仲間の女性たちは業務上では話しかけてくれたり頼ってくれたりするが、何度か誘ってくれた飲み会や食事会などで静がほとんどしゃべらないため、いつからか彼女たちとのプライベートでの交流はなくなっていった。
 須田もきっとそうなる。静の無口で反応が薄いことにつまらなさを感じて、時間の経過とともに自分から離れていく。
 早くそうなるといい、となぜか今までより強く思った。汚れた自分を知られる前に、須田が自分に対する興味を失うことを静は強く望んだ。





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Re: No title

Mさまへ

こんばんは。白に混じる幸福1を読んでくださり、ありがとうございます!
静はエンゲル係数、絶対高いですね。もりもり食べても太らない体がうらやましいです(笑)
続きも楽しんで読んでいただければ光栄です。

コメントありがとうございました<(_ _)>
プロフィール

りんこそ

Author:りんこそ
宗川倫子(そうかわりんこ)
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